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3 非右
中学校までは、わたしにも友だちがいる。実を言えば高校や大学にもいたが、いずれ社会人となり、彼らが真の意味で自分の友だちではなかったと悟る。単に行動を共にすることが多かったというだけ。それを己の友だちと勘違いしていたのだ。
それに対し、中学までの友だちは本当の友だちと言える。中には、どうしてこの男/女はわたしと付き合っているのだろうと首を傾げたくなる相手もいるが、それでも会えば懐かしい。共通の子供時代を持っているからか。それこそが取り換えが利かない点だ。
昔も今もわたしはイジメられっ子ではない。イジメられっ子が『可哀想』なのは子供時代の取り換えが利かないから、と良く言われる。イジメられた経験が変えられない不幸とでも表現すれば良いか。そう説明されれば、わたしでも、
「なるほど、そういうことを可哀想というのか」
と理解できる。幸か不幸か、感情の方はまるで伴わないにしろ……。
今から思えば、わたしの家は世間では貧乏。けれども当時、わたしはそう感じていない。さすがにその日に食べるご飯に困るような家だったら子供だろうと気づいたはずだが、そこまで酷くない。
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