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「その人は結局どうなったんだ? 男の人と幸せになったのか?」
「ううん、結局その男は迎えに来なかったの。それどころか、不吉の予兆として忌み嫌われるようになったわ。村の人にとって娘さんは死んだはずの人だからね。ましてや現れるたびに海が荒れるとなれば怖くないわけがないでしょ」
荒れる海から死んだはずの人が自分の名前を呼び続ける様子を想像して、修二は少し怖くなった。同時に、サンゴが例の娘ではないのかとやや不安になった。
そんな修二をよそに、真奈美は話を続ける。
「だから村の人は御社を建てたの。お供え物を通して、娘さんが帰って来ていないことを確認する意味でね」
そこで修二はようやく合点がいった。弁当箱が空になっているという事は、生贄の娘が帰ってきたという事だ。長年ここに住んでいる真奈美が不審がるのも当然というものだろう。
「まあ御伽噺だし、あんまり神経質になる必要もないけどさ」
明日は海行かないほうが良いかもね、と続ける真奈美の言葉が、ズボンのポケットを重くしたように感じた。
やや重たい時間が流れる。そんな空気を変えるため、修二は口を開いた。
「マナ姉、ちょっと聞いていい?」
「なに?」
「『ひるぐす』って言葉の意味知ってる?」
サンゴは内緒だと言っていたが、人魚の言葉だと決まったわけではない。もしかしたら自分が知らないだけで、大人は知っているかもしれないと思い、修二は真奈美に訊ねることにした。と、先ほどまでの表情を一変させ、にやけた笑みを浮かべ修二の方へと向き直った。
「いやぁ、子供だ子供だと思っていたけど、修ちゃんもいつの間にか年頃になってたんだね。叔母さん嬉しいやら悲しいやらで複雑だ」
カウンターから身を乗り出して修二に乗り出す真奈美の表情には、明らかな好気の表情が満ちている。弁当箱の時とは別の理由で、虎の尾を踏んでしまったようだ。
――訊かない方が良かったかも……。
心の中で後悔する修二を気にも留めず、真奈美は修二にそっと耳打ちする。
「『ひるぐす』っていうのはこの辺の古い言葉で、――」
思いがけぬ彼女の言葉に、修二は自分の後悔が正しかったことを理解する。その日眠りに就くまで、少年の心は荒れ続けた。
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