憧れの上司

2/5
805人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
「仙名(せんな)君、それ終わったら倉庫に在庫管理ファイルを持ってきて欲しいんだけど」 「あ、はい。分かりました」  コピー機の前でテンポよく排出される用紙をぼんやりと眺めていた俺――仙名(せんな) 航(わたる)は、壁に掛けられた時計を見上げて小さく吐息した。  予定外の残業で、仕事終わりに会う予定だった恋人――いや、友人にはまだ連絡も出来ていない。 (また文句を言われるだろうなぁ……)  俺が平川(ひらかわ)陽介(ようすけ)との関係を恋人ではなく友人と言い換えた理由――それは、俺には彼に対して恋愛感情がないからだ。  彼は同じ会社の営業部に勤務する一つ年上だ。社内研修でたまたま出会い、意気投合してからは2人きりで会うことも増えていた。陽介は俺に対して以前から恋愛感情を抱いていたと率直に伝えて来た。しかし、ここで問題になるのは男同士であるというセクシャリティの問題ではなく、もっと深刻な事だった。  そう――もっと厳密に分類される性別において、彼は一般的に人口の大半を占めるβ、そして俺はその存在が稀少とされるΩなのだ。  自身の体質を知ったのは高校生の時だったが、3ヶ月に1度訪れる発情期を抑えるために抑制剤の摂取は欠かせない。それは社会人になった今でも変わらない。 Ωは性交すれば男であっても妊娠する。それが発情期ともなれば妊娠率は格段に上がる。  1週間という期間、ただ発情し続けるだけの獣と化してしまうのは、会社勤務の俺としてはツラいところだ。  だからこのことは誰にも告げていない。もちろん、陽介にも……。  相手に恋愛感情があれば、それなりに体の関係を求めてくることは当たり前の事ではあったが、俺としては友人の枠を超えられない彼に抱かれるのは正直、心苦しかった。  でも、それを言い出せないまま、彼に求められるままに応じ、セックスの度に密かに避妊薬を飲み続けている。  そっとポケットの中に常備しているピルケースに触れて、またタメ息を吐いた。  デスクに置きっぱなしのスマートフォンが何度か着信を知らせる振動を繰り返していたが、今日は〝会いたくない〟という感情の方が勝っていた。  体が熱っぽく、今朝から倦怠感が拭えない。いつもよりも心拍数が高く、吐き出す息も心なしか熱い。 (マズイな……)  近くにあったカレンダーを見て、周期的に訪れる発情期が近い事を知る。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!