文化祭

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聡太は耳が熱くなる感覚を覚えた。 瑠璃。呼べない、そんな風に名前、呼べない。 こんな風に朝霞さんと話していることも奇跡だ。僕、今、朝霞さんと話してるぞ! 聡太は心の中で叫んで、自分に認識させた。 「瑠璃さん……はさあ、それで、体育館ライブ出ないの?」聡太もベランダに出て、同じように手すりにもたれた。サッシはひんやりしていて、もう夏が終わったんだと実感させる。秋は、人知れず始まっていた。 「出ない!出れるわけないよ!」 瑠璃が鈴を転がすように笑う。 「獅紀(しき)たちはすごいよね、バンドとして出るから」 「富岡が、バンド?あの人、ほんとに何でもできるんだな……」 富岡獅紀は容姿端麗な上に勉強もスポーツも楽器演奏もこなすのか。 テストは常に2番だが、あだ名がディーン富岡様でも文句のつけようがない。 聡太はどちらかというと、富岡獅紀と聞けば正岡子規が思い浮かぶ。 「ボーカル?」 「ベースじゃないかな。ボーカルは藤虎」 「ああ、藤虎か……」 藤虎も富岡獅紀と同じように目立つ存在だが、図らずも目立ってしまう富岡と違って、彼は目立つために行動をするような男だ。 クラスの台風の目であり、クラス1位の成績で教師さえも牛耳る。 「でも、勿体無いよ。僕だけが朝霞さんの歌声を知ってるなんて。ボイトレも行ったりしてるの?」 「ううん、昼休みに体育館の倉庫に隠れて歌ってるだけ。今日だって……」 そこまで言って、朝霞さんの表情が凍りついた。 聡太の肩越しの一点を見つめる。 「朝霞さん?どうしたの?」 「やばいよ、部長。私、倉庫の鍵返すの忘れてた」 そうして胸ポケットやプリーツスカートのポケットに手を突っ込むが、体育館倉庫の鍵は出てこない。 「なくしちゃった……?」 朝霞さんの眼がかすかに潤んだ。 「みたい……。どうしよう」 「もう9時だから先生もいないし、明日言うしかないんじゃないかな」 「そうね、それまでに出てきたらいいんだけど……。うん、カバンの中も探してみる」
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