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〈scene 3〉
時はいじわるだと思う。
家から出ていない。
テレビもつけていない。
大好きな音楽も、聴いていない。
無音の空間で、わずかに残るリリクテノールを脳内に蘇らせる。
私に向けられたものでない雑踏の中で拾った響さえも、海馬の中から呼び戻そうと。
それでも記憶は薄れていく。
瞳は閉じることができるのに、なぜ耳にはそれができないのだろう。
その人の声の記憶が薄れてしまうなら、もう何も聞きたくはない。
たった一度だけしか聴いていないその人の声を想う。
もっと話せばよかった。
二人で話せばよかった。
雑踏の中でなく、静かな店を選べばよかった。
繰り返し、繰り返し、細すぎる記憶の糸を辿っているのに。
時はいじわるだと思う。
逢いたい。
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