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私はすぐにわかった。
ホームに降りた瞬間に、スーツ姿のその人が。
彼以外のすべてがぼやけて見える。
降り立った場所から、少しづつ、その人へと歩を進めた。
高鳴る気持ちとは裏腹に、丁寧に一歩づつ。
まるで小さな決心を重ねていくように。
ゆっくりと大きな歩幅で、その人は近づいてきた。
「こんにちは」
その一言で、私の中のあらゆるガードが崩れ落ちた。
あれほどに恋い焦がれたリリックテノール。
「来たんですね」
「来ちゃいました・・」
「僕には黒に見えませんが」
すべてを見透かされた思いがして、
視線を彼の足元に落とした。
「バカですね」
彼が言う。
「バカですね」
私が言う。
顔をあげるのが怖い。
どんな表情をしているのだろう。
ちょっと困っていてもいいから、微笑んでいてください。
眼元だけでも、口元だけでもいいから、微笑んでいてください。
今宵の月も美しいのだろう。
Dianaはどんないたずらを仕掛けてくるのだろう。
その人がそっと、俯いたままの私の手をとる。
〈ひとつ目の fin 〉
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