踏みとどまれない

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そうして今、私はここにいる。 白い病室に。 カバーもシーツも枕も白で統一されたベッドに、白い病衣姿の男が座っていた。 透明感のある薄い色の頬。 その上に、申し訳なさそうに伏せられた黒い双眸。 屋上で見た時よりもずっと若い。 おそらく十歳くらいは離れていそう。 全体的な線の細さも加わって、幼いというより、どこか頼りなく、儚げな印象を受けた。 「気を悪くさせてしまったら、ごめんなさい。 僕なんかと話するの、嫌ですよね?」 「そんなことないです。 そう思っていたら、ここには来ていませんから」 私の返答に、ほっとしたような顔をする。 病室に入った瞬間から、相手が緊張しているのが手にとるようにわかった。 握りしめた毛布の端。 そこに視線を落としては、さまよわせ。 健気な仕草で何度も唾をのみ込みながら。 おそるおそる言葉を選ぶようにして口を開く。 「目が覚めてからずっと、気になっていたんです。 あなたのことが」 「え?」 「いや違う。 あなた、というより、あなたの言葉が気になっていた」 「どういう、意味ですか?」 不思議な気分だった。 相手は何か一生懸命、私に伝えようとしていた。 そして、なんだかその不器用さが憐れに思えていた。 受け止めてあげたいけれど、何を欲しているのか全くわからない。 もちろん、飛び降りたことを責めるつもりは最初からなかった。 そんなごう慢な態度、とれるはずもない。 思いつめていたのを知っている。 あの日あの時あの場所で、私は見たのだから。 では何をしに来たのか問われれば、答えなんて何もないのだけれど。
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