踏みとどまれない

6/9
前へ
/37ページ
次へ
「自分が何を言ったのか、あんまり覚えていないんです。 あの時は気が動転してしまっていて」 「あっ! そ、そうですよね。 僕も前後の部分はちゃんと覚えてないんですけど、ただあなたの言葉が耳に残って……」 もごもごと呟いてから、むこうは急に顔をあげた。 それで初めてお互いの視線がぶつかる。 ちょうど落ちる間際のあの瞬間のように、ぴたりと直視され、私はどきりとした。 相手は言った。 ゆっくりと慎重に。 大きな瞳を見開いて。 食い入るようにこちらを見つめながら、私にたずねた。 「死んだほうがいい人間が、いると言いましたよね?」 ぎくり。 完全に不意をつかれた。 予想外の言葉に喉元が詰まるような感覚を覚える。 魂胆を見透かされた気がして視線が泳ぐ。 その間も相手は私を凝視していた。 まるでこちらの動揺を何一つ見過ごさずにいようと決意しているかのように。 爛々と輝き、まばたきすらせず。 頭の中で警報が鳴っていた。 何だか危ない、この男。 必要以上に興味を持たれている。 理由なんてないはずなのに。 恐ろしくなって慌てて取り繕う。 できるかぎり平静を装って笑顔をつくった。 「ああ、そう。 あれは、違うの。 あなたを引き留めるためにとっさに口から出ただけで。 死んだほうがいい人間なんていません。 あなたも含めて。そうでしょ?」 私がそう言った瞬間、相手の瞳から一気に輝きが失せた。 その表情全体に失望の色が広がる。 お前も同じか。 くだらない。 説教なんて聞き飽きた。 そんな心の声が聞こえた気がした。 「僕の苦しみがわからないから、皆そんなことを言うんです。 実際、生きていてもしょうがない人間はいますよ。 僕のように」 「投げやりな考えは、よくないと思うけど」 何を言っているんだろう、私は。 目の前の人間の親や教師になるつもりなんて、さらさらないのに。 興味があったんじゃないの? 気になっていたはずだよね? 心を開いて欲しい相手の気持ち。 それが離れていくのがわかるのに、自分をさらけ出す勇気はないんだ。 誰にも壊せない防御壁が、この胸にある。 どうなるの? もしもそれを粉々に潰したら。 その先は……。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加