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私こと都倉湊(とくらかなえ)は動物しか愛せない。水商売をしていた派手で男好きの母親と、どこがよかったのかDV壁のある父親の元で育った。そのためなのか私はいつしか、人間を恋愛対象として、見ることができなくなっていた。
学費が高いからという理由で、最終学歴は中卒止まりで、辛うじて広告代理店の事務職に就いている。主には他の人が挙げた企画書やら報告書やらに、誤字・脱字がないか確認するだけのなんとも簡単な仕事しかもらえていないのが現状だ。
その他には、来客のためにお茶出しをする程度と、仕事などあってないようなものなので、周囲からは給料泥棒などとやっかみを言われることも少なくはない。正直に言うと残業してまで仕事に誇りをもって取り組めている同僚が羨ましかった。
壁に掛けられた時計を見ると、定時よりもほんの少し早いが、気疲れしたことと寄り道がしたくて浮足立っていた。だからこそ、油断していたのだ。
「あれっ都倉さん、今上がり?これから何人か声かけるつもりだったけど、一緒に飲みに行かない?」
「今からですか?今日は…予定があります」
「じゃあ、明日は?」
「人間は嫌いです。それ以上は近付かないで下さい」
私は反射的に彼、高橋幸也(たかはしゆきや)の隙をついて、逃げるように退社した。仕事は出来る人だ。私では基準にならないが、まさにエリート街道まっしぐらといったキャリア組の一人だった。しかし、性格にかなりの問題があり、手が早いことで有名だった。
-油断した。あんな面倒な人に目を付けられるなんて、思わなかった。次がないように、もっと警戒しなくちゃー
息を切らせながらオフィスを飛び出して、エレベーターへと流れ込み、ゆっくりと呼吸を整えた。私は 六階から一階まで降りると、早く会いたい衝動で、たまたま近くを通ったタクシーを呼び留めた。目的の場所を指定すると、人のよさそうな柔和な笑顔で声を掛けられた。
「では、発車させていただきます」
こちらに対して随分と遜(へりくだ)った優しい声だった。人はこれほどまで優しい笑顔と声を使える生き物だったのかと、私はただ驚いた。この人が私の父親だったらよかったと、考えずにはいられなかった。
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