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せっかくバーに来たんだから、いい酒を頼めばいいのに、と皆木先輩は言った。千夏と同じ格好をしたマスターらしき人がカウンターに入った。
「皆木さん、お久しぶりです」
「こんばんは、マスター。夕飯を食べてないんだ。ペペロンチーノを二人前、頼んでいいかな?」
「かしこまりました」
そう言うとマスターはカウンターから厨房があるであろう奥に引っ込んだ。
「ここ、女性客ばかりですね」
私は皆木先輩だけに聞こえるように小声で言った。
「まあそれがコンセプトのお店だから」
「よく来られるんですか? このお店」
「ル・ベゼ・ド・リスね。フランス語で百合のくちづけっていう意味」
先輩、フランス語もできるんですか、と私が聞くと、まさかと先輩は笑った。
「マスターの受け売りだよ」
皆木先輩はそう言って、就業中は吸わない煙草に火をつけた。
「今の恋人ともここで出会ったんだ」
「ということは……女性なんですか? 先輩の恋人は」
「そう」
こともなげに皆木先輩は煙草の煙を吐き出した。私は少し動揺したが、どこかで納得した。シルクのような手触りのひと、と皆木先輩は言っていた。皆木先輩に触れる手は洗練されていなければいけないような気がした。皆木先輩の身体に触れる指先は整えられた赤いネイルだと思うとしっくりとくる。
「いいんですか? 私に言って」
「伊井野だから、言うんだよ」
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