愛が思い通りにいくと思うな

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 仕事を終え、なんとか渋谷に着いた。目指すはセンター街の外れにある六階建てのビルディング。私は疲弊しきった身体を引き連れ、そのビルへ向かう。  目当てのビルの三階で降り、重たいドアを開いた。 「いらっしゃいませ」  オレンジ色の光のなかマスターは酒瓶に囲まれて、グラスを磨いていた。今日は日曜日で、他のお客はいなかった。 「マスター、マティーニを。うんとドライで」 「かしこまりました」  私がこの店――ル・ベゼ・ド・リス――に足を運ぶのは久しぶりだった。ル・ベゼ・ド・リスは私とニキにとって憩いの場でもあった。渋谷駅からそう遠くない場所をふたりの住居に選んだのも、この店があったからだ。ニキと七年、付き合って私は彼女について知らないことはないと思っていた。寝相に、どの新聞欄をいつも熟読するか、下着のサイズまで、私はニキを知り尽くしたつもりでいた。三年前から一緒に住み始め、もう知らないことなんてないと思っていた。 私は事の顛末を買い出しから戻ってきた千夏ちゃんに話した。 「それで、結子さんはなんて答えたんですか?」 「iPS細胞が一般化されたらねって」  千夏ちゃんは大笑いしている。今日の修羅場は明日の笑いの種とでも言いたいようだった。 「真剣に悩んでいるのに笑ったら失礼でしょう」  マスターがお酒をステアしながら、千夏ちゃんを叱る。     
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