442人が本棚に入れています
本棚に追加
俺が入り口で待っていると、お兄さんはすぐに出て来て、訝る俺の片手を取ると軽く足踏みをして、
「清掃中だったっ、他を頼む!はやく、」
と言った。ああ、それは不運なことだ。仕方がないので一番近い、二階のトイレに連れて行こうとエレベーターのボタンを押した。エレベーターを待つ間も、お兄さんが一階に他のトイレは無いのかと喧しい。あるけどちょっと歩くんですよ。いいから黙って待っていてください。大体あんたオムツしてるんだから、そんなに焦る必要ないでしょうが。
エレベーターに乗り込むと、お兄さんは慌てて股間を押さえ込んだ。
「くぅ……」
彼の鼻から仔犬のような呻きが漏れる。そのまましゃがみこんだ彼はまだ立つことができるだろうか。
「お兄さん」
「……」
「お兄さん、もうしちゃったらどうですか?無理でしょう、そのまま歩くのは」
「……っトイレ、トイレに行きたいいっ……」
それは当然そうだろうが。次の階のトイレまで果たしてもつものか。こちらまで焦ってくる。
チン、と音が鳴るが、しかし、ドアが開かない。よく見ればランプも点灯しておらず、今何階にいるのかも分からない。意固地になって唇を噛んで我慢を続けていたお兄さんが、不安そうにドアを見上げた。
「あれ、おかしいな。……故障?」
お兄さんがサッと青ざめる。
そのまま、静寂だけが訪れる。
まさか、こうなるとは。思わずくらっときて、抑えた頭をそのまま抱える。何だってこうも、この人にとっての災難が続くものか。階段かエスカレーターで行けばよかった。
「……」
お兄さんは絶句している。身体をよじって耐える姿勢に入ったようだ。仕方がないので、俺が通話口に立った。
「はい、分かりました……すみませんが友人が体調不良なのでなるべく早く……そうです、か……はい、どうも……お兄さん、まだ、今から修理にかかるって」
通話が終わった。内容を伝えると、絶望の様相になったお兄さんは力無く両手を床についた。吐く息が荒い。もう波が収まらないらしい。今にも泣き出しそうな顔をして、気もそぞろな様子で、しきりに身をよじって膝をすり合わせて我慢を続けている。
「出しちゃったらどうですか」
お兄さんに向き直る。
「……床が、もし、吸いきれなかったら」
「仕方ないですよ。ちゃんと後で拭いてあげますから」
最初のコメントを投稿しよう!