第1章

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1 その人を初めて見たのは、家を出てすぐ。お世辞にも治安は良いとは言えない裏路地に直結した、それなりな大きさを持つマンション。正規の方法ではそこに住まうことは難しいだろうし、そもそも何かしら事情がなければわざわざこんな所に住もうだなんて思わないだろう外観のマンションが、俺の家だ。そんな場所にわざわざ住む物好きな俺の事情はさておき、俺はその日もごく普通に学校へ向かおうと、眠くて堪らない目をどうにか誤魔化し、目付きが悪くなってしまうのをなんとかしようと足掻いていた。 「ッな?!」 すぐそばで、小さく悲鳴のような動転した声が聞こえたので、反射的に少しばかり振り返ってしまった。……それは、多分すべきじゃなかった。 「……え?」 俺の後ろにいたのは、背丈は見上げてしまうほどに高い、そこそこガッチリとしていながらもすらりとした印象を与えるような男性。衣服のセンスがまず目についた。その、何というか、俺はそこまでそういったことに詳しい訳でもないので何とも言い難い。ここまで言っていることで察して欲しい。とにかくあまり一般的な趣味とはいえない、パンクロッカーに近いようなゴテゴテした肩をはじめとした関節の装飾。テラテラと光り輝くエナメル質の様な、脚の細さが際立つズボン。派手な存在感が光にあまり強くはない俺の目には痛かった。?しかしここで驚いたのはそのせいじゃない。彼は、逆光のせいか良く表情までは見えなかったが……おそらくは泣きそうな顔をしていた。その原因は、彼の、方向性はともかくとして、バッチリ隙なく着飾った下半身にあった。 彼の艶やかな加工の施された黒いズボンは、股間部を中心に、大規模な濡れた染みを作ってしまっていた。 ああ、これはしまったな、と瞬間、理解した。振り向いてはいけなかった。見るべきじゃなかったものだ。 失禁してしまったらしい彼、明らかに自分よりは年上だろう青年とばっちり目があってしまった。逆光で暗くしか見えなかったが、自分でも信じられないといった様子で顔に手をやり、やはり彼は泣き出しそうに顔を歪めていた。それから恥辱の色を顔中に露骨に浮かべて、声にならない声をあげながら走り去った。 「……あ、ちょ……」
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