山の端

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 朱美の本能的な何かが、”それ”から眼を逸らしてはいけないと訴えかけてきていた。  だが同時に、今すぐに眼を瞑ってしまいたい衝動に苛まれる。その恐ろしい存在を視界に収めないで済むなら、そうやってすぐにでも瞼を閉じてしまいたい。  呼吸が不規則に乱れる。  寒気の不快さと、大雨に降られたかのような汗の不快さ。けれども、そんな事すら吹き飛ぶような存在がそこ居る。  やがて額から流れてきた汗が眉で抑えられず、ついには目を刺す。汗が沁み、生理機能的な反応により思わずその右目を瞑ってしまった。  片目の欠けた視界で、訳の判らないその存在を捉え続ける。  だがついに左側までも、悪い冗談かのように、汗がその唯一の視界を奪わんとする。  それが自分のものだというに、手足は嘘のように動かない。流れてくる汗を拭うことも出来ない。  一度だけ、一瞬だけ瞼を閉じようと思った。  ほんの僅かの間で瞬きをし、眼に入った汗を何とかしようと。    そしてその考えが間違いであった事が、次の瞬間に知れた。  両目をぎゅっと閉じた朱美が再び見開くと、”それ”は公園のフェンスの向こう側にいた。  まだ大分距離があった筈の森の中から、一瞬にしてそこへ。  こちら側と向こう側を区切るその網目から、不気味な白い巨体を覗かせて。  朱美は、声も呼吸も失っていた。  近づいた分、そして街灯に照らされ、その姿を否応もなくはっきりと認識する。  それは人間でも――まして野生動物の類などでもない。    おかしくなるほどに大きな頭。白い着物の胴体は人間と然して変わりはないのに、空気を入れた風船のように頭だけが膨らんでいる。  その巨大な眼ばかりに意識は向くが、鼻や口はあった。まるで不釣り合いな、申し訳程度のそれらが。  顔面のパースが、質の悪い冗談でいじくられているかのようだ。    それはまるで人形のようであった。  そのように、不気味で恐ろしげになる事を意図して作られた。  寸法の狂った和人形の、その眼の部分だけを抉ってくり貫き、不釣り合いな西洋人形の眼球をはめ込んだかのよう。  赤々とした虹彩が、その部分だけ異様に輝いてさえ見える。  頭髪の類は全くと無い。ぬるりとした、生物とも無機物とも取れるような白い肌の頭部。それが余計にマネキンめいた不気味さを催す。
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