山の端

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 どうして自分は今、このような状態に陥っているのか。  何故、身動きも出来ず、こんな想像だにしない化け物を前に、追い詰められているのか。  朱美にはまるでわからない。  ただ理解できるのは、この化け物から眼を逸らしてはいけないという事。  これまでの経緯により、相手は眼を合わせている限りは動かない。微動だにしない。  だが、次に眼を離した隙にどうなるか――それは嫌でもわかった。  意識に靄がかけられたように、まるで現実感がない。  辺りはそれまでと変わらない筈なのに、まるでどこか違う世界に迷い込んでしまったかのように物音一つとしてしない。  声を上げるべきだったのだろうか。  誰かに助けを求めるべきだったのか。  けれど、それら全てに意味がない事を感覚として理解する朱美。    出来るのは、ただこの化け物をこれ以上近づけさせない事だけ。  その化け物は、フェンス越しにこちらをじっと見つめている。距離として、100m以上は離れている筈。  しかし、そのおぞましいまでの存在感で以てこちらを圧迫してくる。  見開かれた眼。――というよりは、もしかしたら瞼が存在しないのかもしれない。  なまじ人と同じ造形をしているせいで、それらのバランスのちぐはぐさがより嫌悪を際立たせていた。      恐怖と緊張から、胃液が逆流してくる。  一瞬でも眼を閉じてはいけないとわかっているのに、次第と瞼が重くなり、意思とは無関係に降りようとする。  それを必死に押し留め、震えながらも、眼を逸らす事が出来ない。  そのおぞましき造形の化け物から一秒でも視線を遠ざけたい直接的な怯えと、それから視線を一度でも外してしまえばもっと恐ろしい事になるという間接的な怯え。  そのせめぎ合いの間(はざま)に揺れ動く。  やがて、朱美の意識の方が耐え切れなくなる。  血流がさっと下半身に落ちていくかのような、気が遠くなる時のあの感覚が朱美を襲っている。    「眼を逸らしてはダメ」「眼を逸らしてはダメ」――  そう闇雲に心の中で唱え、自分に言い聞かそうとするも、肉体の疲労に精神が抗えぬかのように視界は薄らぼんやりと不確かになる。  抵抗しようとすればする程、それによって疲労値が蓄積される。  そしてそれは、朱美の瞼を鉛のように重くしていくのだった。
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