(3)

6/7
前へ
/45ページ
次へ
 残りを一気に飲んでしまって文庫本に戻ろうとしたとき、また足音がした。今度はお客のようだった。髪がぼさぼさの男の人だ。しわだらけの黒いシャツにだぼだぼのジーンズ、登山にでも行くような大きなリュックをせおっている。いったん、カウンター席の方に消えたが、また戻ってきて、あたしのななめ前のテーブルに腰をおろした。こんなにすいているのに、わざわざ近くに座るのが気になったので、それとなく様子をうかがってみる。大学生くらいの年代に見えるが、全身にまとっている空気がどことなくくすんだようで生気が感じられない。目はやけに大きいのだが、輝きはなくどんより沈んでいる。コーヒーにミルクを入れながら急にこっちを見たので、あわてて文庫本に目を落とす。気にしないよう意識して読書に集中していたが、そのうちに、妙な居心地の悪さを感じて顔を上げると、男の人があきらかにぎくりと身を震わせた。ばれないように観察していると、何かに集中しているかのように身動きしないのだが、見る限り、本を読んでいるわけでもないし、イヤホンで何かを聞いているわけでもない。そもそも、テーブルの上にはコーヒーの紙コップ以外何も見あたらない。そのくせ、あたしが髪をかきあげたり、座りなおしたりするたびに、とがめられたかのように反応する。気のせいかとも思ったが、カウンター席の中年男性が席を立ったので、そちらを見るふりをして確認すると、彼のどんよりした瞳は、明らかにあたしの太もものあたりに向けられていた。とっさに席を立とうとしたが、からだが木材か金属にでも変わってしまったかのように思うように動かせず、少し開き気味だった膝をぴったり閉じるのがやっとだった。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加