掌に残るもの

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「泉」 ぼうっと新居を見上げていたら、一切の気配もなく背後から声がかかる。 「…っ、びっくりした…ぬらりひょんみたいに現れるの、やめてよね」 文句を言うと、無言のまま僅かに片眉をあげる。 どうやら、ぬらりひょんに例えられるのは嫌らしい。 「なに?どうしたの?」 と促せば、 「…そろそろ終わる」 と、家の方に視線を送る。 「了解。じゃあ、ちゃちゃっと清算してくるね」 僕は朝から斜めがけしていたサコッシュから財布を取り出して、中に駆けていく。 運び込まれた荷物の山を掻き分けて、引っ越し屋さんのところまで辿り着く。 ごちゃごちゃではないけれど、大量の段ボールと開封されていない家具たちを見ると、これから始まる新生活への喜びと一緒に、片付けの大変さが思いやられて、複雑な気持ちになる。 でも、やっぱり嬉しいよね。 自分たちだけの家。ずっと欲しかった居場所。 「我が家」---なんていい響きなんだ。 暑い中頑張ってくれた引っ越し屋さんを労って送り出すと、物言わぬ荷物たちの中に取り残されて、静寂が訪れる。でも、決して寂しくはない。 「お疲れ」 この手を握り締めてくれる、あたたかい手が傍にあるから。 「うん、お疲れ。今日からここが我が家だね。僕たちの家なんだね」 すりすりと肩に頭をこすりつけると、大きな手で優しく撫でてくれる。 心地よさに目を閉じると、ふふっと微かに笑う声が聞こえた。 ねえ、あなたはそんなに優しくしてくれるけど、これって夢じゃないよね? あんまり幸せすぎて、ちょっぴり怖くもなるんだよ。
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