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安土が生徒の誰かと付き合っているという噂が流れ出したのは、この和太鼓演奏の練習が始まってからのことだった。本人は軽く受け流してはいたが。
和太鼓演奏に一際熱を注ぐ者も多く、中にはそれを自己アピール――つまりは異性に向けたそれに繋げる者もいた。そういえば、そういった集団の中に諏訪もいた。今思えば逆だったのだ。意中の相手を射止めるためではなく、それが済んだ後であるがゆえのアピールだったわけだ。
その生々しさ。胸に込み上げる嫌悪と、まあそんなものかという諦観とが、わたしを蝕む。ましてや当事者たる彼女の胸はもう、取り去れない黒々とした病巣が巣食ったのかもしれない。だから彼女は。
「練習時間をやり過ごしたあと、貴女は教室に戻ることができなかったんだ。そこは、諏訪が安土との待ち合わせに使うと知っていたから。だから逃げ出した――ここへ」
それは行く宛の無い逃避行だ。正解の無い逆走だ。逃走とは、目的地が無ければ成立しない。ゴールの無いマラソンに耐えられる人はいないし、それを救える人も、きっといない。
「きっと、あわよくばここに置かれている太鼓を二つ三つおじゃんにしてしまえば、明日の演奏を台無しにできる。そんなことも考えてたんじゃないかな」
柳川さんは、否定も肯定もしなかった。ただ俯いて、唇を噛んでいた。血が出そうだった。
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