消失と誕生

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妻がおかしい。 そう思い始めたのは十が産まれたあの日、10月10日の事だ。 おかしいと言うのは、頭がおかしいとか狂っているとかそういった類のものではなく、僕らの間における雰囲気の違和から来るものだ。 僕がおかしいのかもしれない。 けれど確かに、あの時妻はこう言った。 あら伸介さん、来てくれたの。 妻、清宮杏南(きよみやあんな)と出会ったのは大学4年の春。 花弁が落ちきった桜の木が青々しい葉をつけ、いよいよ就職活動が始まると意気込み始めた頃のことだ。 友人と同じサークルに所属していた妻は、可愛いらしく愛想も良かった。 それ故に興味が湧かなかった。 僕には不釣り合い、そう思ったのではなくただ現実味がないと思ったからだ。 手入れの行き届いたサラサラの髪に、光に当たると茶色に輝くキレイな瞳。 現実味がない、あるいはそれは人工物のように整えられた女の子だった。 付き合い始めたのは秋頃。 まさか神が作りし最高傑作が僕に一目惚れをするなんて誰が思う。 平凡に足が生えたような一般男子からしたら、有難いことだ。 神様に感謝だ。 大学を卒業後、お互い新しい環境に慣れ始めた冬、同棲を始めた。 僕が密かに計画していたクリスマスのサプライズ。 前々から一緒に住む話をしていたのだが、はぐらかしては心の中でニヤニヤしていた。 サプライズは成功。 杏南の好きなキャラクターの巨大なぬいぐるみもプレゼントした。 僕らの間ではそのキャラクターをヌーピーと呼んでいた。 僕が呼び始めたこの愛称を、彼女も気に入っているようだった。 その後しばらくして結婚、第一子の優芽を授かり、利津、十が産まれた。 そしてここからが本題。 出会ってからこれまで、杏南は僕の事をさん付けで呼んだ事など一度もないのだ。 伸介くんから始まり、伸ちゃん、伸、しんのすけ、伸介、あなた....。 「伸介さん」 とても他人行儀に思えたその呼び方が、僕は心から気持ちが悪いと思った。
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