名前を呼ぶ

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俺の田舎のM町、中途半端に近代建造物があるだけで本質的には田舎そのもの。市町村合併後に見た目だけは実に文化的になったが、やはり都会とはまったく別の世界だなと、M町を離れると思う。ここ数十年で急速に道路が整備されたとはいえ、基本は山と川に挟まれた土地だから、必然的に神様(妖怪)に関する話が非常に多い。河童もそうだけど、住民は祭りという形で多くの神様を敬っている。 当然、山や川に関する禁忌なども小さな頃から色々と大人から吹き込まれる。そういったものは教訓話や脅しとして子供への躾に使われるものだと思うが、大人になって考えても、どうしても合理的でないものがいくつかある。 例えば「山で名前を呼ばれても返事をしてはいけない」 すぐ隣にある山は遊び場の宝庫で、ちょっと進めば洞窟や廃屋(廃村?)がたくさんあって、そりゃもう探検が楽しいものだから学校終わったら友達と探検するってのが日常だった。悪餓鬼の遊びを大人が止められるはずも無く、いくつかのルールを守れば山に入る事は許されてた。 その一つが前述の「名前を呼ばれても返事をしない」どこからか名前を呼ばれ、返事をすると帰ってこれなくなるらしい。だから友達との間でも「おい」とか「ちょっと」みたいな感じで声をかけていた。 不思議だよね。大人が子供を探して山に入り、子供が悪ふざけで隠れてしまわないように「名前を呼ばれたら必ず返事をしろ」ではない。 でも大人達にそう言われ続けたから、疑問にも思わずずっとそのルールを守っていたんだ。 ある時学校の帰り道、ふと目的も無く一人で山に入っていた。なんとなく入りたい気持ちになったんだ。でも冷静に考えておかしいなって気がついて、踵を返して戻ろうとした瞬間、真後ろからボソリと名前を呼ばれた、気がした。 空耳のような感じでもあり、驚いて周囲を見渡すが、すぐに言いつけを思い出し怖くなった。気がつけば虫はおろか草木が風になびく音すら消えていた。ただ一つ、がさがさと何かがこちらに近づいてくる音を除けば。 無我夢中で走った。山を駆け下り、麓近くの駄菓子屋に駆け込んで泣きながら婆さんに訴えた。婆さんは「山の神様は時々そうやって子供を連れて行くんだよ、よく戻ってこれたね」と俺をなだめながら、ブラックモンブランをくれた。 (終)
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