プロローグ

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プロローグ

「俺らの町には、ヒーローがいるんだぜ」  転校先の高校で、クラスメイトにそう言われた。嬉々としたその表情には、有名な野球選手の母校なんだぜ、と自慢するような趣がある。 「ヒーロー?」  十七歳、高校二年生の口から出る言葉としては幼い。苦笑しながら僕が訊ね返すと、彼は「あっ、お前胡散臭いと思っただろ」と笑った。胡散臭い、と言うよりも、反応に困っていただけなのだが、彼は勿体ぶるように「そのうち、お前にもわかるよ」と予言めいた言葉を続けた。その時は特に気にも止めていなかったけど、その通りに、僕は知ることになる。  目を覚ますと、僕は砂利の上に転がっていた。夜の砂利はひんやりとし、意外にも心地よい。だが、それによって痛みが緩和されることはなかった。喉に受けたダメージが大きくて上手く息ができないし、頬がじんじんと痛む。口の中が嫌にしょっぱい。生臭く、鉄の味がする。咳込みながら吐き出したものが、地面に赤黒い染みを作った。呼吸に合わせて、軋むように胸の奥や腹部が痛んだ。寒さが体を包み込み、誰かが上から押さえつけているのではないかと思うくらい身体が重い。意識が再び薄れそうになっていく。  声を出そうと試みても、乾いた空気が吐き出されるばかりだ。掠れた動物の鳴き声みたいな惨めな音だけが、僕の口から漏れる。  かろうじて視線を彷徨わせると、彼女を見つけた。  月明かりの下、すっかり葉桜に変わった大きな桜の木に体を預け、彼女は人形のように座ったまま動かない。なんだか幻想的な雰囲気があるけど、痛みだけがひどく現実的で僕をどこにも逃がそうとしない。  死にかけのイモムシのように力を振り絞って身体を這わせ、彼女に近づく。 『人生と言う道を歩いていたら、正道を踏み外し、いつの間にか出口の見えない真っ暗な森の中にいた』そんな、昔読んだ話の冒頭が頭の中で蘇る。今の僕もまさにそんな気分だ。 『出口が見えず、悪意の視線が僕の身体に突き刺さる。木々が行く手を阻み、根が狡猾な罠となって足元を狙い、獣が舌なめずりをし、闇が自分を飲み込もうとしてくる』  今の僕も、まさにそんな気分だ。  希望も目的もなく、溺れるように苦しんだ日々だった。  しかし、そんな中でも巡り合った幸せがある。  それを語る為に、そこで起こった二、三のことからまず話そうと思う。
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