第6章 : そしてボクラは共に笑った

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 成島は俺の葛藤など知らない顔で、さっさと枝に足をかけて、完全に登る体勢に入っている。座ったまま駄々こねようかと思うけど、二階から下りた手前、仁羽辺りに容赦なく登らされそうな気がする。  やばい、俺ピンチだ、と思ってたら、後ろから風が吹いた。  短く、一瞬、ひんやりと。思わず腰を浮かせる。そして、振り向いた瞬間。強い風が、真正面から吹き付けて、後ろへ走り去っていた。  変な風だ、と思った。だけど言わなかった。言わない方がいい気がした。  無言で立ち上がる。心臓をわしづかみにされるような、つきつきとして凍えた風だった。夏の夜の風じゃない。ほのかに水の匂いが混じるような、ひやりとした風だった。  一歩踏み出すと、足の下の小石を踏んだ感触がした。なのに小石を踏む音がしない。風はもう吹かない。だけど、あの風が音をさらって塗り替えてしまったのかもしれない。音がしない。虫の音が聞こえない。    もう一歩踏み出した所で、足が止まった。だって、聞こえてしまった。  図書室で、廊下で聞いたものより、もっとはっきり、もっと近くで。笛の音が、太鼓の音が、鈴の音が、お囃子が、耳に届いた。  体が強張る。音は俺たちの後ろ、校庭の方から聞こえる。筋肉がきしむ。時が止まったと言われたら、信じてしまったかもしれない。誰も動かず、固まっている。  ただ、時間はきちんと流れているのだと、時は刻まれているんだと示すように、お囃子だけが響いている。  だけど突然、お囃子以外の音がした。叫ぶ声。一瞬それは意味をなさなかったけど、すぐに理解する。 「登って!」  いつだって、先陣を切るのは成島だ。すでに登りかけていたらしく、軽々と上まで登っていく。それから「安全だよ、大丈夫!」と叫んだ。  その声に答えるようにして仁羽が動き、きしむ筋肉をどうにか動かして俺も走ろうとして、気づいた。仁羽もわかった。 「遠山っ!」  遠山はいまだに地面に座ったままだった。何やってるんだ! と思ったけど一番そう思っているのはなぜか当の本人らしく、目を丸くしている。 「……足が痛い……」  呆然とつぶやく遠山に、だから気力じゃ治らないんだって! 走るなんて無茶するから! と内心で叫ぶけど、今は意味がなかった。どうしよう、と思ったら遠山が言った。 「……置いていって、いいよ……」
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