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「……建、殿?」
何を言っているのだろう。建殿は。
それに、このように私の手など掴んでいる暇があるなら、落とした書状を早く拾わねば。
「どこにも……誰のところにも、行かないでくれ。ここに……私の、もと……」
「あの、建ど……」
「――しつれい、いたしますっ」
「……っ」
突然、割って入ってきた甲高い声。
他者の気配に、掴まれていた手首を勢いよく跳ね上げ、さらに相手の手を叩き落としてから後ろに飛び退いた。
声が聞こえた殿舎の端を慌てて振り返れば、肩までの長さで切り揃えた振り分け髪の少女が、そこに立っていた。見たところ、十歳ほどの女童だ。
「ん? どうしたのかな?」
濃色の袴を長く引いている汗衫姿が愛らしい少女が、緊張した面持ちでこちらをじっと見ている。
それがどうにも気になって、できるだけ優しく声をかけながら近寄ってみることにした。
愛想のない自分が、稚い少女を怖がらせて泣かせてしまわないよう、撫子の君の幼少時を思い浮かべて微笑んでみせることまでして。
「誰に、御用かな?」
「ふっ、ふじわらのみつなりさまへのおふみを! おとどけにあがりました!」
「私に?」
誰からだろう?
それにしても、たどたどしいながらも一生懸命に口上を述べた女童は、頬を朱く染めているさまが、ひどく愛らしい。
「なんだって? 光成に懸想文だとぉ?」
背後でやかましい声が上がったことは無視して、女童が差し出す文を笑って受け取った。
*濃色――濃い紫色、または濃い紅色のこと。
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