弐 濡れる朝顔の、儚さと… 【二】

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「なんだって? あの! 近江の君からの文だって? あのっ?」 すぐ近くであがった大声に、眉をしかめた。 何が『あのっ?』なのか、これもわからない。 しかし、建殿がいちいち絡んでくる理由が全くわからないから、この人のことはもう無視することに決めた。 相手をしていたら話がまともに進まず、とにかく面倒くさい。 「では、桃花の君。今から返歌をしたためますので、文使いをお願いできるかな?」 「はいっ。とうかは、ふじわらのみつなりさまのふみつかいをつとめます!」 「ふふっ。では、もう少し、そこで待っておいで」 女童(めのわらわ)のなんとも可愛らしい宣言に、口元がほころんでいく。 「なにぃ! 返歌だとぉ?」 またもや隣であがった大声のことは、もはや当然無視し、自分の文机(ふづくえ)の前に座した。 この殿舎に、薄様(うすよう)の紙などない。が、文の相手は篤子(あつこ)だ。どんな紙にしたためようが、一向に差し支えない。 硯に残っていた墨に筆をつけ、文机の上に置いたままだった紙に、さっと滑らせた。 『()ひざらましを』 「……え? それだけ?」 頭上から、ぽつりと声が落ちてきた。 真横に来て私の手元を覗いていた建殿の声だ。 覗いていたのは気配で気づいていたけれど、思っていたよりも耳元に近い位置から聞こえてきたことに、鼓動がとくんと跳ねる。 無視すると決めていたはずなのに、あっさりとその誓いを破った私は「はい」と返事をし、声の主のほうに顔を向けていた。 そうして、目が合う。 至近距離にいる、私の好きなひとと。
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