壱 百日紅の薫る朝

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濃紺と朱鷺(とき)色が密に絡み合う、まだ明けきらない空のもと。 ほんのりと残る朝靄に身をさらし、まだ暗き道をよどみなく歩を進めていく。 見上げる空には、有明の月は見えない。 昨夜は、新月――――朔の夜。 朝の陽光が内裏を照らし出す頃には、糸のように細い三日月が、薄藍(うすあい)色の空にその白き姿を見せることだろう。 陽の光に薄れ、消えゆく儚い美は、情緒に欠けているとよく言われる自分でさえ、惜しむ気持ちが湧いてくるようだ。 だが、ひとりで眺めていても何の意味もないから、やはり歩く足は止めない。 真っ直ぐに向かうのは、内裏の中ほどに位置する仁寿殿(じじゅうでん)。 まだ暗き道のりだが、もうそこに近づいていることには気づいていた。 (さや)かに吹き抜ける(あした)の風が、甘やかな花の薫りを運んできているからだ。 仁寿殿の脇で、つるりとした枝を存分に伸ばしている百日紅の木。鼻腔をくすぐる甘い薫りが、その見事な存在をはっきりと知らせてきていたから――。
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