モラトリアム

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 授業の終わった教室を私は飛び出した。先生はどんな顔をしていただろうか。先生はどんな声をしていただろうか。さっぱり思い出せない。ただ、思い出せるきっかけさえつかめば思い出せる。それは確信にちかかった。 バス、電車を乗り継ぎ、最寄り駅から走った。家に駆け込んで、階段を駆けあがって、自分の部屋の机の端に記憶通り、アルバムが置いてある。  普段触れるプリントなんかとは全然違う、でもやはり、紙特有の感覚を残した頑丈な作りの緑色の表紙をめくる。余所の家のもののような香りが微かに鼻に届く。 「先生」  クラス写真に写るそのにこやかな表情をしばらく眺めていると、胸のざわつきは随分と落ち着いた。  そうなると今度は懐かしくなってきて私はそのままページをめくっていく。写真嫌いの私はほとんどの写真に写っていない。けれど、その光景はところどころ覚えていて、それが自分が撮ったような錯覚を与える。  運動会でゴールするみんなだとか、学芸会の劇だとか、わき上がってくるのは歓喜とか悲しみのような強い感情ではないけれど、ただ、過ぎ去っていった事実への懐かしさが頭の中に巡る。  私が軽蔑し、嘲笑し置き去りにした時間と場所。今見れば私も彼らも大差ないのだ。善悪はともかく、結局のところはどちらも愚かだった。  一番最後は白いページだった。正確にはもともと白かったページだった。わずかなりとも仲が良かった子たちからよせられたメッセージに紛れて、先生からのメッセージも添えられている。  英語でかかれたメッセージを私は今まできちんと読んでないことを思い出した。 「なんてかいてあるんですか?」  と先生に聞いたとき、先生は 「そのうちわかるようになります」  とだけ答えた。そして、それから私はこのメッセージの存在を忘れていたのである。  さほど難しい単語が混じっているわけではないが、おそらくは格言の類いだろうと私はあたりをつける。そうとわかれば文明の利器の出番だった。自慢じゃあないが、英語はろくな点数をもらった試しがない。
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