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『じゃあ、また連絡するね』
「うん、じゃあ」
呆気なく終わった通話に、傘を叩く雨粒が現実として戻ってくる。黒瀬 幸は視線を上げ、闇に溶ける濃紺の傘を伝う水滴にゆっくりと目を瞬かせた。
湿度の低い5月の雨夜は涼しく、ささやかな雨音が耳に心地いい。肌を撫でる風も緩やかに、わずかにささくれ立つ心を宥めるようだ。
「……本当、勝手な人」
切れた通話の向こうは、今頃暖かな灯りと幸福な空気に満たされ、彼女もまた幸の知らない顔で笑っていることだろう。また、など、彼女の心次第で明日にも来年にもなる。あまりに不確定な約束だ。
足元で跳ねる水溜まりを避け、遠くはしゃぐ親子の背中に傘を深く差した幸は、携帯をポケットにねじ込んだ。
どれだけ腹立たしく思おうと、同じだけの愛おしさと憐憫の情があるから離れられない。あのか細い腕を払うくらい、容易いことのはずなのに。
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