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「ーーっくし、」
ふと辺りに響いたそれに、幸の足がぴたりと止まる。
前にいた親子はいつの間にかその姿を消し、人気のない通りに響いた声の出所を探して、警戒する視線が辺りを彷徨う。
「う゛ー……」
ずっ、と鼻を啜る音に続いて、不快げな人の声が雨に掠れた。そう遠くない距離から聞こえるそれに傘を上げた幸が、進路の先に見える丸い影に目を細める。
季節外れのファーコートが、重そうに項垂れていた。膝を抱える様は幼子のようで、だけどシルエットの大きさから中高生のようにも見える。もう1度小さくくしゃみをしたそれが、寒そうに丈の足りない袖を引っ張った。
家出か、はたまた訳ありか。
幸はそれに見ていたことを悟られないよう、急ぎ足で前を通り過ぎた。面倒ごとには出来る限り関わりたくない。幸い雨も小降りで、この調子なら明日の朝まで降り続いたとて、何か問題が起こるとは思えない。
幸は言い聞かせるようにそう思考を片付け、築15年の特別新しいとは言えないマンションへ傘を閉じた。
エントランスに並ぶ郵便受けには多少の古さを感じるものの、改修工事されたばかりのエレベーターは好調で、大きな揺れもなく3階へと上がっていく。
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