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着信を告げるスマホを見て、ふわふわした気分は一瞬で消え去った。
画面に表示された「八木さん」という名前。
すっかり忘れてしまってた、まだ1日もたっていないアノコトがよみがえる。
迷うが無視することはできなくて重いため息をつきつつ電話に出た。
「……もしもし」
緊張してドキドキして声が掠れてしまう。キスくらいで情けない、と気を引き締める泉の耳にいつもと変わらない涼介の明るい声が響いてくる。
「こんばんは、泉くん。いま大丈夫? もう家?」
「……はい」
涼介の声を聞くと朝のことがはっきり思い出される。キッチンで追い込まれるようにキスされた。ほんの数秒のキスだったが泉にとってはファーストキスだ。
「ふふ、なんか警戒されてる声。今朝のこと怒ってる?」
泉の硬い口調など涼介はまったく気にしていないようだ。
パイプベッドにもたれかかり泉は困惑する。
「怒って……は……ないです。ただなんであんなことしたのかって……」
「キスしたかったから」
間髪入れず返され泉は顔が熱くなっていく。むずむずとこそばゆく視線が泳いでしまう。
「なんですか、それ」
電話越しでよかったと思わずにいられない。涼介がいまいたらきっと顔が真っ赤だとからかわれていただろう。
きのうまでは仕事を通じてプライベートでも親しくなれたことが嬉しいだけだったのに。
いまはどう接していいかわからなかった。恋愛経験のない泉は涼介の発言に翻弄されるばかりだ。
「だって本当はさ、きのう飲みにいったときに口説こうと思ってたのに急に寝落ちるんだもんなー泉くん」
「口説っ!?」
「ピュアな泉くんが可愛いから俺がいろいろ教えてあげたくなったんだよね」
「……いろいろって……。キスとか……そういうのは好きなひとと……が」
ピュアって俺のことだろうか、と熱くなる一方の頬を擦って聞こえないように泉はため息を吐き出す。ピュアというより単に生まれてからいままでなにもなかった、というだけだ。
「じゃあ先輩にアプローチする?」
「え、いや、店長はノンケだし……それに」
「恋人もいるし? じゃあ特に問題ないよね」
「えっ?」
「先輩と恋人になりたいとかないんだったら、人生勉強として俺とキスしても問題ないってこと」
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