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新春の幻
「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく」
遠子はミーティングルームへと入ってくると、うやうやしく頭を下げた。
しかし皆、和装の彼女を見て目を丸くする。
「どうしたんですか? 遠子さん。――今、5月ですよ?」
代表して言葉を発した理沙に、彼女はそれでもにっこりと笑む。
「でもほら、たまにはお正月気分を味わいたいって時もあるじゃない?」
「ないわよ」
しかしマリーは即言って扇をひらひらとさせた。
「せめて今が猛暑の最中で寒い日が恋しくて恋しくて仕方がないっていうならともかく、こんな微妙なお天気じゃ」
「五月病かなんかですか? 遠子さん自分でも気づいてないうちにストレスフルな状態になってるとか」
そう言った祥太郎の目は羽織袴姿の才に一瞬向けられるが、すぐに見なかったことにされる。
「あのな、俺様も好きでやってる訳じゃねーから」
「他にどんな理由があるって言うの?」
「これはな、マリーちゃん。れっきとした仕事なの。シミュレーターの点検」
「シミュレーター?」
理沙がそのまま言葉を繰り返す。不安げに周囲を見回しても、理解している者は誰もいそうにない。
「異世界対策のな。色んな条件の世界を作り出してヴァーチャル体験が出来るって優れモンなんだが、皆様その存在を全くご存じない通り、普段あんまし使われてないってわけで」
「才くんが点検を頼まれたから、せっかくだし、みんなでお正月気分を味わいましょうってことになったの。ね?」
「いや、そんな当然みたいな顔されても、前後の言葉のつながりが全くわからないんだけれども」
呆れ顔をするマリーの隣で、理沙はこくりと首をかしげた。
「才さんは、この説明で納得したんですか?」
「…………もちろん!」
「今の間はなんだ。そんなんで羽織袴まで着るか? 普通」
「と、遠子さんに頼まれたんだ。断れないだろ?」
「だってね、お正月といえば滅多に着られない着物を着て、おせち食べたり、お雑煮食べたり、おとそ飲んだりできるじゃない? 食っちゃ寝してても大目に見てもらえるし」
「トーコの中のお正月ってそれしかないの……?」
「あっ、わかりました!」
理沙がようやく納得したという表情でぽんと手を叩く。
「つまり、お正月風のピクニックがやりたいってことですよね? それなら楽しそう!」
「そうそう」
「え、そういうことなん? ……ま、まあとにかく、点検にも人数いた方がいいし、手伝ってくれよ」
「マリーちゃんはほら、この前買った着物をアレンジしたドレスを着るいい機会じゃない?」
「えっ? ……そ、そうかもしれないわね」
遠子の追撃であっという間に陥落したマリーを見て、祥太郎は一つ溜め息をつくとうなずいた。
「僕もいいよ。シミュレータってヤツ? 結構面白そうだし」
◇
「ここが、その装置? ……なんですか?」
「ただの部屋にしか見えないんだが」
才たちに連れられていった場所は、いたって普通の部屋だった。広さはそれほどなく、白い壁を覆うように背の高い棚が囲んでいるため、五人で入って扉を閉めるとやや圧迫感がある。
「普段は使ってないって言ったろ。一応普通の部屋に偽装してんの」
「ずいぶんと古い書類があるわ。完全に物置になってるじゃない。ここ」
「だからさ、これから積極的に活用してこうって話だよ」
才は言ってマリーから祥太郎へと向き直り、その肩を軽く叩く。
「じゃ、ヨロシク」
「は?」
「この部屋のもん飛ばしてくれよ。とりあえずミーティングルームでいいから」
「何で僕が――」
文句を言いかけ、祥太郎は口をつぐんだ。シミュレーターを使うことには同意したわけだし、言い争うよりもさっさと済ませた方が早いと思ったからだ。
ひとつ大きく呼吸をし、部屋の中をぐるりと見回してから意識を集中させる。
すると立ち並ぶ棚、小さなテーブル、花瓶、積まれた書類――部屋の中にあったものが、次々と音もなく姿を消し始め、あっという間に周囲は白一色となった。
「祥太郎さん、さすが!」
「能力のコントロールにも慣れてきたみたいね」
笑顔で見守る理沙と遠子とは対照的に、マリーは顔をゆがめる。
「……それまでに色々大変だったけどもね」
「そ、それは言いっこなしってことで」
『ミュート』を外したままでいられるアパートの生活は大きな解放感があったが、同時にちょっとしたことで暴走してしまう能力を手なずけるまでにはそれなりの苦労があった。
祥太郎の脳裏に、ミーティングルームの中を滅茶苦茶にしてして怒られたり、女子更衣室に間違って入り込んでぼこぼこにされたり、マスター秘蔵のティーカップセットをリサイクルショップの店先まで吹き飛ばして月給が全カットになってしまったりなどの苦い思い出が、短い間に浮かんでは消える。
「で? これからどうすんだ?」
「サンキュ! あとは任せとけ」
才は親指を立てると壁に近づき、軽く手で触れた。二、三度指を動かせば、その一部が静かに開いて入力パネルが現れる。
「そんで遠子さんは、どんなトコがいいんだっけ?」
遠子はしばらく考えた後、口を開いた。
「そうね……古民家は欲しいわね。風情があっていいと思うの」
「自分たちで好きに決められるんですか? じゃああたしは、丘の上がいいな。大きな木が立ってるんです」
「丘の上の古民家、大きな木、と……」
才はぶつぶつと言いながら、遠子と理沙の言った条件を入力していく。
「雪がちらつくなんてロマンティックじゃない?」
しかし、マリーの言葉には渋い顔で振り向いた。
「……あんまし寒いのはやだなぁ」
「だってヴァーチャルなんでしょ?」
「そこらへんは色んな技術の結晶でリアルに体感できるから!」
「じゃあ……神社はどう? 皆でお参りに行くの」
「それいいな! 正月感出るし。あと、かわいい女の子、と……」
「そんなのもあんの?」
そのつぶやきに反応したのは、今まで黙っていた祥太郎だった。
「だって異世界の住人も想定しなきゃなんねーだろ?」
「マジで? じゃあせっかくだから巫女さんは? 神社もあるし、正月っぽさ倍増でいいだろ?」
「おお、いいねー!」
女性陣の白けた視線を感じつつも、シミュレーターのセッティングは無事に終了する。
「んじゃそろそろ出発な。今準備中だから、少しお待ちを」
「ワクワクしますね!」
理沙のその言葉がきっかけとなったかのように、壁や床が微かに波打ち始め、質感も繋ぎ目も次第に失われていく。
真っ白なスクリーンとなった部屋は徐々に徐々に、その様相を変えていった。
「すごーい! 床が草と土の色になってきましたよ」
「あそこに素敵な古民家も見えるわね」
最初はゆるやかだった変化も、すぐにスピードを増し、あっという間に周囲は丘の上となっていた。足を踏み出せば土を踏む感触がし、日差しのあたたかさも、そよぐ風も感じられる。
「確かにサイが言った通り、リアルなのね。本当に外にいるみたい。空気は一月にしてはあたたかいかしら」
「ま、そこらへんはさ、過ごしやすい方がいいじゃんか」
「すごいなぁ」
祥太郎はぐるっと辺りを見回してから、突然勢いよく走り出した。
すると古民家はぐんぐんと近づき、振り返れば皆が遠ざかっている。息も確かに上がっていて、本当にどこかの丘の上へと一瞬にして移動してしまったとしか思えなかった。
「……ここ、マジでさっきの部屋の中?」
彼の唐突な行動に目を丸くしていた才だったが、合点がいったように破願する。
「ああ。これはいわゆる幻術の類だからな。術者の力量によらず安定的に、かつ安全にやろうってのがこの装置」
「へぇー。使ってなかったってのがもったいないな」
「ま、やっぱ事実はシミュレーションよりも奇なりっつーか」
「ああ……わかるかも」
祥太郎は今まで出会った異世界人を思い出す。どんなに綿密に対策を立てようが、その斜め上が来ることなど多々あるだろう。
「でもきちんと結界を張れば、訓練の質も上げられそうだけれども」
「今はマリーちゃんみたいに優秀な結界師もいるしな。そういうのも含めて、見直すってことなんじゃね?」
「結界張れる人って、常にいるんじゃないの?」
「そんなに都合よく集まるわけないでしょう。転移能力者の席だって、ショータローが来るまでしばらく空いてたんだから」
「ねえ、まずはあそこでゆっくりしない?」
話しこむ三人が声のした方を向けば、少し先を行く遠子が、前方に見える古民家を指差している。
「遠子さんが用意してくれたおせち、食べましょう!」
理沙が言って大きな風呂敷包みを掲げると、誰かの腹の虫が小さく鳴った。
◇
「だし巻き玉子に栗きんとん、数の子、海老、黒豆……」
「すごーい!」
遠子が食卓におせちの重を並べていくと、理沙の歓喜の声が家の中に響き渡る。彼女ほどの反応は見せないにしろ、他の者も色とりどりの豪華な内容に感嘆の息を漏らした。
「五段目には何も入っていないのね」
「それはなマリーちゃん、控えの重なんだ。予備でもあるし、さらに豊かになっていく余地を残すっていう願いも込められてるんだぜ」
「へぇ……面白いのね」
「あっ、あたしもネットで見たことあります!」
笑顔で言った理沙の代わりに、才のドヤ顔が曇る。
「このテーブル? ってさ、どうなってんの? おせちは本物だろ? 実際は床に置いてるってこと?」
祥太郎がまじまじと眺める食卓も部屋も、古びてはいるが誰かが隅々まで手を入れているかのように清潔だ。
「ああ、この部屋ってある程度どうにでもなる素材で出来ててさ、その時の状況によって形を変えんだよ。だからこれも材質は木じゃねーけど、形は実際にテーブル状になってるってわけ」
「へー、すごいなー! その方がリアルになるもんなー」
「二人とも、そういう話は無粋じゃない? せっかくだから、この世界にどっぷり浸りたいじゃない」
「あ、すいません、つい」
「えっ、俺も? だって遠子さん、こいつが――」
「ところでこのおせち、まさかトーコが作ったの?」
「ううん。早苗さんに作ってもらったの」
「サナエって……最近入ったキッチンのスタッフ? ちょっと不愛想な」
「そうそう。あまり反応はないけど、頼んだら色々やってくれるのよ」
遠子はおせちを皿に取り分け、皆に配っていく。
「ありがとございます! うまそー! ――遠子さん、コミュ力高いなぁ。僕苦手だから、あの人とあんま話したことないや」
「トーコはただ、押しが強いだけのような……あっ、わたしニンジン嫌いだから入れなくて――って何故山盛りにするのよ!?」
「人参もちゃんと食べた方が美人さんになるわよ、マリーちゃん」
「そうそう、好き嫌いなくしておいたほうが、すっごいお得だと思う。今日のマリーちゃんもお人形さんみたいでカワイイ!」
「そう? べ、別に食べられないわけじゃないのよ? 好みじゃないってだけで。このお洋服はね、古い着物の生地を使った限定品――」
「はい、じゃあみんなでいただきましょうね」
「いただきまーす!」
全員の前に皿が置かれたのを機にマリーのドレス自慢はぶった切られ、少し遅めの昼食が始まった。
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