マクデブルクの半球

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 その雑居ビルの階段に設置されていた監視カメラの映像は、もう何日も前から録画されていなかった。なんてことのない偶然が重なりそのカメラは壊れ、そしてその修理をビルの管理人は後回しにした。―――たったそれだけのことのはず、だった。  けれどその行動がニノ コウを窮地に追い込むことになった―――録画されなかった映像データはわたしの手元にはもちろんないし、当然、わたしはその瞬間に立ち合わせていたりしなかった。彼とはもう、六年も会っていないのだ―――だからそっと、想像してみる。  ニノ コウは落ちてゆく瞬間、何を思ったのだろう。  バランスを崩し、のばした手は何も掴めず、誰かがその手を握ってくれることもなく、片方の手に握りしめた携帯と共に階段を転がり落ちるというよりは落下し、踊り場に叩き付けられ頭を強く打ちきっとその瞬間鈍い音を響かせ、ほんの少し間を置いてからじわりじわりと赤い血液を冷たい鉄の踊り場に浸し―――そうして彼は、意識を失った。  わたしの中で落下していくニノ コウはごつごつしているがまだ未完成さを残す少年の体つきだった。当たり前だ、わたしが最後にニノ コウを見たのは高校の卒業式の時なのだから。もう二十四になっているはずの彼の姿を、想像出来るわけがない。  ニノ コウが落ちた時間。  階段を利用した人たちの証言を元にして、深夜の二時から二時半の間。  だけどわたしは、高校時代、第三者として言わせてもらえば加害者と被害者の立場であったわたしだけは、その正確な時間を知っている。  二時二十四分  彼が、落ちた時間。  わたしの携帯に、彼がワンコールだけ電話をした時間。  わたしが着信に気付く間もなく電話は切れ、着信歴にあたたかみのない数字だけが残され、登録されていない彼の番号は不在着信のひとつとして処理されていた。  加害者と被害者。  彼は強くて、わたしは泣きたくなるほど弱かった。  彼の携帯にも、わたしの番号は登録されているはずがない。  でもわたしの番号を、登録するまでもなく覚えていたのであろう彼のことを思うと、わたしはどんな顔をしていいのか分からなくなる。
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