ブログを見続ける人の話

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 カメラが記憶に残らなかった事を悲しんでいた?それはカメラに愛着を持っているから…いや、違う。カメラはその人自身だ。カメラで撮った写真はその人が見た物。その人が感じた事を誰かと共感する為にアウトプットする為の、その人の器官。そう語られている。  だとすれば…その人自身が記憶されない事を悲しんでいる?誰からも記憶されず、認識されず、ただ記録していくだけの日々の中、誰かに認めて欲しかったんじゃないだろうか?自分のしている事を。…その人自身を。  そうだ。その人は、自分を誰かに認めて欲しかったんじゃないだろうか。無価値な世界で藻掻き続けた一人の人間を。知人も、ブログを見ている人もいない世界で、自分の存在を叫びたかったんだ。きっとそうだ。  正しいかどうかは分からない。しかしそう考えると、少しすっきりするような気がする。  大丈夫だ。届いていたよ。貴方が例え知らなくても、僕は知っている、覚えている。貴方のやってきた事には意味があったんだ、価値があったんだ、といつか出会えたら言ってあげたい。 貴方が写真を撮り続けていた事も、貴方がブログを続けていた事も、貴方が生き続けていた事も、何もかもとても価値のある事なんだ。それは、僕もきっとそうなんだ。  僕は、街を歩く。何か面白い物は無いかと気にしながら。すっかり身についてしまった習慣だ。ウキウキした気持ちと、カメラを持って。
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