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子竜は漸く俺の手の中から身を捩って抜け出すと、俺の頬に頭を押し付けてきた。
「ないちゃ、やだー」
「……大丈夫だよ」
「だいじょうぶ、じゃないもん。なく、は、かなしい、だもん」
〝継ぎの竜〟となる子竜は、卵のまま〝揺り篭〟で眠る十年の間に、様々な知識を与えられるのだそうだ。〝継ぎの竜〟としての役割、この世界についてはもちろん、感情や、生きる術、そして両親のことも。
この子は全てを知った上で、俺を母と呼んでいる。
優しい子だな、と思った。頭を撫でると心地よさそうに目を細めるのが、愛おしい。
母性本能というものだろうか。
「……ありがとう。平気だよ」
「まま、へいき?」
「うん、ママは平気。あ、」
勢いあまって自分のことをママとか呼んでしまった。
慌てて訂正しようとしたが、子竜が嬉しそうな顔で「まま、へいきー!」と言いながら抱き着いてくるから、タイミングを逃した。何だか、もう、それでいいかなというような気もした。一応は俺が痛い思いをして産んだのだから、俺がママで間違いはないのだ。
自分でも呼んだことのない名で呼ばれる日が来ようとは、思ってもみなかった。
両親が二人とも健在なこの子は幸せだ。いや、俺はもう死んでいるから健在とは言えないか。そんなどうでもいいことに頭が回る。
戸惑いも、恐怖も、もう無かった。
『……なるほど、儀式を生き抜いたのにも頷ける』
「え?」
『お前は苦難に耐え、運命を知り、応ずる類の人間だ……。それによって死んだことも事実ではあるが、しかしそれによって生き残ったこともまた事実。竜の世界では心の優しさ、強さが何よりもの価値になる……。己の心を大切にせよ。思うままに生きよ。そこにいるお前の夫は、それを支えてくれるだろうて……』
俺は振り返った。今まで一言も発さずに俺たちの話を聞いていた黄金色の竜は、俺の視線に優しく目を細めたように見えた。
言葉は分からないが、表情だけは満足に知れる。
継ぎの竜は、少し楽しそうな声で言う。
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