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プロローグ(1)
徹が上司である柚木の部屋に呼び出され、東京へ行けと言われたのは、西日が窓から差し込んでいる頃だった。
「……出向?」
柚木の口から出た言葉を徹は呆然と繰り返した。作業服を纏った背筋を冷たい汗が流れる。一方柚木は満面の笑みを浮かべ、デスクの上に手を組んだ。
「そうだぞおめでとう!しかもお前を名指しだ」
どうやら東京の元受けより徹を派遣しろとの要請があったらしい。米国本社より幹部を迎えるに当たり、その手伝いをしろとの辞令なのだそうだ。
「部署は何だったかな。マーケティングだそうだ」
「畑違いもいいところですよ!」
徹は作業着の襟を掴み、柚木に見ろと突き付けた。
「これでマーケティングって……普通考えられないでしょう!?」
柚木は「だろうなあ」と大きく頷く。
「それでもお前がいいらしいんだよ。その外人に現場について色々説明してやってくれって話なんだ。まあ、秘書って言うかぶっちゃけ日本でのお守りみたいなものか?」
最低限英語が理解でき現場を知っていることが条件であるらしい。そこまで構えることも無いと言われたが、徹は必死に手を振り拒否の姿勢を示した。
「待って下さい。俺の英語って高校レベルですよ」
「それでもお前が一番話せるんだよ。その仕事自体は1年で終わるからさぁ」
柚木は溜息を吐いた。
「グローバル化だのなんだの言っても、所詮は地方のこんな会社だ。俺も今こそ背広なんて着ているが、結局叩き上げの職人なんだよ」
徹の勤めるこの兵庫の会社は大手米系IT企業、その日本法人の下請けである。今でこそ技術を買われて名を上げてはいるものの、柚木の言う通りかつては下町の片隅の工場に過ぎなかった。
更には企業としての体質は当時とそれほど変わっていない。徹は高校卒業以来その工場で八年働き、現在は現場監督に当たっていた。
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