第三章『くたびれた青春』

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六郎(ろくろう)宅 彼は葛藤していた。死ぬほど喉が渇いていた。でも水道水を飲むのも飽きた。秋田県にも飽きた。柴犬はかわいい。なのでペットボトルの蓋を開けてコーラをたらふく胃に流し込もうと思っていたのだが、如何せんその蓋が開かないのだ。 「なんだこれ……めちゃくちゃ固いじゃないか」 彼はかれこれ二時間ほどこいつと格闘している。 「なにやってるんだい? 六郎」 そこに推定50歳ほどの中年、いや初老の男が入ってきた。 「おぉ親父。この蓋が全然あかねぇんだよ。助けてくれ」 「そんなに非力に育てた覚えはないぞ! まったく不甲斐ない。貸してみろ」 この男の名は隠身次郎(いんみじろう)。六郎の父親にあたる人間だ。ちなみに何故平日の昼間っから父親が家に居るのかというと、彼は無職だからだ。生まれてこの方同じ仕事を半年と続けたことがない素晴らしきダメ人間である。離婚はしないのかって? なぜかこのダメっぷりに母親、隠身はるか(いんみはるか)が陶酔していて今でも仲睦まじい夫婦生活を送れているのである。ちなみにはるかの職業は弁護士。逆玉の輿とはまさにこのことである。 「ぐぬぬぬ……いや、あかねぇじゃねぇか、なんだこれ? 本当にコーラか?」 次郎の手にかかってもなかなか開かない。 「いやこれは色的にもコーラのはずなんだけどなぁ」 「悔しいからもう一回やる」 また次郎がトライする。どうしてもここで父親の威厳を保ちたいようだ。無職なのに。 「ダメだ開かん……これは蓋が開かないタイプのコーラなんだな」 ダメだったようだ。次郎は諦めるのが早いのが特徴だ。 「諦めんなよ親父! チャンスはそこらへんに転がってんだよ!」 六郎は六郎で意味の分からない励ましの念を送っている。ペットボトルと格闘しながら時間は刻一刻と流れていく。 さらに二時間後ーー 「やっぱり開かないじゃん」 「半日以上戦ってんのに全然あかんな」 「本当にこれコーラか?」 「……うわ、親父、これよく見たらコーラじゃないわ。醤油だ」 「あ、本当だ」 親子の時間は無情にも過ちと後悔だけが奪い去っていった。
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