感性

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感性

 いつもの時間…… いつもと同じ様に朝は訪れ、 そして…… また、新しい一日が始まる――  まだ温もりの残る毛布を払いのけ、 至福の余韻と心の奥で闘いながら、 携帯アラームを止める。 ふと、視線を向けた妻のベッドに 彼女の姿はなかった。 寝室を出て、マンション角部屋の特権である 廊下の小窓に差し込む日差しを浴びながら、 大きな欠伸を1回終える頃にたどり着くリビングの扉、 ゆっくりと開かれたドアの向こうには、 一人、小刻みに肩を揺らしながら、 すすり泣く妻の姿があった――。 『またか……』 心の奥で、ため息を殺し 普段と変わることのない 優しい口調で声をかけた。 「おはようっ」  背後からかける私の声と気配に気が付いた妻は、悟られないように、ハンカチで涙を拭うと明るく振舞う。 「あらっ、あなた、 おはようございます。  もう、こんな時間なのね。 ごめんなさい。 直ぐ朝食の支度しますね」 結婚して20年、 2人の子供にも恵まれ決して裕福ではないが、そこそこの暮らしはしている至って普通の夫婦だ。 ただ、ここ1ヶ月程前から、 妻の様子がおかしい。 彼女は数年前から、毎朝5時に起きて 静かなリビングで一人読書をしている。 それは彼女の趣味であり、尊敬すべき日課でもある。 専業主婦故、趣味をもつ事は歓迎だが、 ここ1ヶ月は、感情が入りすぎているのか 毎朝この調子だ。  彼女曰く――、 情熱的な作家の作品に巡りあったらしい。 仲の悪い夫婦関係ではないが、 たかだか、1冊の本にここまで妻の感情を奪われてしまうと、 少し腹立たしい気持ちになる。 本のタイトルや作家名は分からない。 妻はいつも、 花柄のブックカバーをしているからだ。 気にはなるものの、子供じゃないんだ。 悟られない様に、 いつもの様に、新聞を広げ 静かに珈琲を口にした。 香ばしいかおりを心地良く感じ、 苦味を味わいながら……。
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