3rd story 【おかえり】

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青山蓮の母、青山麗美はそれなりに有名な絵本作家であり同時に絵本マニアでもあった。 その為か麗美は蓮が小さい頃から多くの絵本を読んで聞かせてくれた。 だれでも一度は聞いたことのある有名な物から、自身が手掛けた作品やら、幾百にも渡る数多くの物語を。 多種多様な物語の数々、それらはまるで別世界を旅しているような感覚を幼い蓮に与えてくれた。 涙を誘う悲しい物語も、笑いを催す愉快な喜劇も、胸がすくような爽快な冒険譚も、蓮はすべてをこよなく愛した。 だが中でも好きだったのは母の著した作品だった。悲しみも苦しみも挫折も困難も母の作品にはあった。 だが、その全ての物語が幸福な結末を迎えていた。 頑張った人間が最後には報われる。 そんな当たり前のようでいて、現実では決して確約されている訳ではない結末が、母の作品には約束されていた。 努力したなら報われる。 苦しんだ人間は幸福になってよい。 『蓮、もし夢とか欲しいものとか出来たら、とにかくそれに向かって頑張りなさいね。 そしたらきっと手に入るから。 頑張った奴は報われていいんだからね』 綺麗事だと笑われそうな、そんな条理こそが蓮は大好きだった。 大好きだった……はずなのだ。 だって、報われなければ嘘だ。 どんな苦しい頑張りも意味がなかったことになってしまう。 この世は結果が全てなのだと現実や大人が笑っても、蓮は母の言う綺麗事の方こそを信じていたかったのだ。 結局、信じ続ける事はできなかったけれど。 10年前の12月24日、蓮の誕生日。 蓮にとって何よりも特別な日は、その日、何よりも忌むべき呪わしい日となった。 ほんのサプライズのつもりだった。 当時蓮は父にも内緒でなけなしのお小遣いでバスに乗り、出版社にいた母を内緒で迎えに行って驚かせようとしていた。 子どもながらの単純な悪戯心、そして少しでも母に早く会いに行っておめでとうと言って欲しかった。 それだけで終わるはずだったのだ。 予め学校のパソコンで調べておいた通りにつつがなく出版社に到着した蓮は、そのまま出版社前の道路のガードレールに寄りかかって母を待ち伏せる。 数分程待ち、出版社から何やら慌てて飛び出した母は蓮の姿を見つけ、何故か安堵するような笑みを浮かべて駆け寄ってきた。 もしかして父が蓮がいなくなったことに気付いて電話をかけたのかもしれない。 ひょんな悪戯心から始めた行いであったが、もしかして心配をかけてしまったのだろうか? 怒られると思った蓮は途端に怖くなって泣きそうになるが、母はそんな少女をそっと優しく抱き締めて、何かを囁いた。 ……果たしてその言葉が一体どんな言葉だったのか。 思い出せないのか単に聞こえなかったのか。 それを確認することはもはや永遠に叶わない……。 母が蓮を勢い良く突き飛ばした。 次の瞬間真っ赤なボディの乗用車が、ガードレールを紙細工のように突き破り、その勢いのまま母に衝突した。 一瞬の出来事だった。 ひどく現実感に乏しい出来事であった。 母の華奢な身体は瞬く間にふっ飛び、蓮が忘我から返った時には、青山麗美は少女の数メートル先で血塗れになって倒れていた。
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