第15章 帰郷

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 到着すると既に仁科盛信の首級は運ばれてきていた。  休憩がてら、この呂久の渡しで首級の実検を行う。  首桶を開けると美しく死に化粧の施された、まだ若々しい盛信の首がそこにあった。  首となって対面すれば、不思議とどのような敵に対しても特別な感情は湧いてこない。  多くの敵は戦っている時には顔も知らず、対面する時にはどちらかが首になっている為、生前を知らないからだ。  ただ、その死に顔は穏やかに見えた。  死に様は、首級を運んだ使者より語られた。   織田勢の猛攻、攻防の成り行き、高遠城兵の決死の防戦、諏訪勝右衛門の妻の奮戦や若武者の健闘、仁科盛信の武田武士としての誇りある最期の様子について。    余程無様で卑劣な死に様でない限り、敵とはいえ辱しめるような事は言わないものだ。  やや感傷的な使者の語り口調とはいえ、何としてでも滅び行く名門武田の意地と誇りを最期まで貫き通したかったという思いは充分に伝わり、乱法師は少し切なくなった。  この時代の習いとして首級が長良川の河原に晒される事になったのは哀れとはいえ、写真の無かった時代の天下に勝利を知らしめる方法であったのだから仕方がない。  信長と乱法師等供回りは呂久の渡しに用意されていた御座舟で川を渡った。  街道には様々な持て成しの用意がされており、軍勢が不自由を感じずに済むようにとの配慮は、織田家の領土が拡大し、威光が遍く行き渡っている事を物語っていた。    さて、信長と乱法師他、小姓達は御座舟で渡河したが、他の数多の兵士達は舟橋を渡り中仙道を横断し岐阜を目指した。  この日も終日天気は良く、無事に岐阜城に到着した。  信長にとっては懐かしい古巣に戻ってきたというところだ。  乱法師は岐阜城の山頂と山麓に二つの『てんしゅ』があるのを先月、目で見てきたばかりだ。  その時、どうやら現在の主信忠は、山麓の天主を日々の生活場所として使用しているようだと感じた。
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