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思えば昨夜の夢は生々しく、万見が最期に自分に伝えたかったのは目録の整理や礼状書きであったのだろうかと、ぼんやり考えた。
もしそうなら勤勉で責任感の強い万見らしいが、信長がどう受け止めているのだろうかと胸中を案じた。
師走も暮れに迫り、安土城も完成間近だ。
乱法師は死を悼み念仏を唱えた。
母である妙向尼の影響から、彼も敵対する本願寺の宗派である一向宗に帰依しており、仏が亡くなった者には等しく慈愛の心を示し極楽浄土に導いてくれるようにと祈った。
信長の好きな小唄がふと浮かび口ずさむ。
『死のうは一定しのび草には何をしよぞ 一定語りをこすよの』
(死ぬのは定め、死後にも人に語り継がれる為には何をすれば良いのだろう。精一杯生きた証があれば、人は死後も偲び永く語り継いでくれるだろう)
中断しかけていた播磨での三木城攻めの為に、羽柴秀吉は対峙の砦に兵糧を補給し、佐久間信盛、筒井順慶も援軍として向かった。
明智光秀は丹波に攻め入り、波多野兄弟の八上城を包囲した。
足利義昭と信長との仲が険悪になるや将軍側に寝返った為、攻撃対象とされたのだ。
信長自身は安土へ一旦戻る事を決め、十二月の二十一日には京都に帰陣した。
死者を悼み、兵士達の心を癒すかのように、ひらひらと優しく雪が舞い、乱法師は空を見上げた。
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