第1章 乱法師

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第1章 乱法師

 (注:文中では、蘭丸は全て乱法師(らんほうし)と記載、信長からの書状には乱法師と記述されている。本人の署名は森乱成利。信長以外の者は森乱、お乱と記述している。)  天正五年(1577年) 三月  麗らかな春風が、河岸に咲く満開の桜花を浚っていく。  注ぐ陽光に悠々と流れる翡翠色の水は川底まで透き通り、舞い落ちる薄紅色の花弁が彩を添えていた。  美濃の平地を横切る木曽川を多くの川舟が行き交い、上流に位置する美濃の兼山湊に停泊し、種々雑多な積み荷が降ろされる。  川の東側を望むと峻険な山が(そび)え、その(いただき)には嘗て烏峰城(うほうじょう)と呼ばれた金山城が建っていた。  元は斎藤氏の支配にあったが、久々利城主、土岐悪五郎に謀殺され一時城主が不在となるも、織田信長の重臣、森可成(もりよしなり)が城に入ったのが永禄八年(1565年)の事。    その僅か五年後の元亀元年(1570年)、森可成は浅井朝倉勢の大軍が迫る中、近江の宇佐山城から打って出て、壮絶な討ち死にを遂げていた。  1570年から廃城となる1600年までの間、三度(みたび)も城主が代わる事になるのは後の話──  兼山湊と木曽川のおかげで商業が栄え多くの人々が集い、ここ美濃の金山の城下町は常に賑わっていた。  今日は六斎市(ろくさいいち)の日だ。   六斎市とは月に六回決まった日に開催される市の事で、古くは室町時代に始まったと伝わる。    障子紙や灯籠に使用される透かし紋様の美しい和紙。  豪奢な反物、志野焼と呼ばれる焼き物、菓子や油、酒。   城下町の通りに所狭しと並べられ、商人達は稼ぎ時とばかりに大声を張り上げ客を呼び込み、買い付けた品物を他国に売ろうという商人、町人、武士、僧侶、様々な身分の者が通りを行き交う。  供を連れた見るからに育ちの良さそうな少年が商家の軒先に腰掛け、志野焼きの器を両手で包み熱心に眺めていた。  若草色の綾織小袖が、少年の白い肌や品の良い顔立ちを引き立てている。
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