第九話  恋の流儀

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 「夏子姐さんのお陰です」  日本に帰ってこれたのは、諦めるなと教えてくれた夏子のお陰だと思っているのだ。  「教えて下さった通りに、頑張ったから日本に帰ってこれました・・」、涙声で呟く。緊張の糸が切れたのか、美代子に縋り付いてポロポロと涙をこぼし始めた。  「偉かったね」  そっと背を撫でて、頑張った木綿子を褒めてやった。マトリの捜査官だった夏子には、海外の犯罪組織に誘拐されそうになった木綿子の恐怖が手に取るようにわかる。還ってこれたのがどれほどの奇跡かも、よく解っているのだ。  極道の娘とは言え、木綿子はまだたったの二十歳。しかも素人同然だ。  鬼頭が若頭を務める黒津組は、真っ当な稼業を持つ極道界の老舗ブランド。そこいらの極道やハングレも、黒津組の名前を恐れて手出しなどしない環境で育った。  つまり鬼頭家は、ただのサラリーマン家庭と何の変りもない。  「木綿子ちゃんの帰国を祝ってさぁ、ちょっと贅沢しようかぁ」、夏子の提案で、空港から都内でも指折りのシティホテルに直行。予約しておいたスィートルームにチェックインしたのである。清次と町田に邪魔されない場所で、木綿子から根掘り葉掘り聞き出すための夏子の姑息な策略だ。  早速。  黒津組の組事務所のなかで、やきもきと帰りを待っている鬼頭に、わざわざホテルの部屋から電話で連絡をかますという周到さで。遂に木綿子から、欲しい情報を引き出すチャンスを作ることに成功したのである。  ところで、夏子がそんな高級ホテルを使ったのには、夏子なりの理由があった。それは今回の誘拐事件の特質にある。  犯行グループは木綿子を誘拐しようとしたのか・・それとも友達の方を誘拐しようとしたのだろうか?。木綿子の証言を得るまでは、夏子にも判別が付かなかったのだ。  もしも前者なら、黒津組の組事務所で待つ鬼頭の元に連れ帰り、木綿子を渡してはいたく拙かろう。  鬼頭の家に連れ帰った後で襲われたら、敵の襲撃をかわすことは難しい。一流ホテルのスィートルームは値段も張るが、セキュリティ対策は抜群。安全性にはそれなりに期待が持てる。  という訳で!  夏子は見事に、町田と清次を出し抜くことに成功。厳しい監視をくぐり抜けると、遂に必要な情報をゲットしたのである。  その結果、木綿子の証言で誘拐のターゲットは木綿子では無かったと判明。夏子の怖れていた事態では無かったことに、チョットだけホッとした。だが木綿子の口からとんでもない名前が飛び出した時には、背筋が凍った。  「【絽組】って言ったの?」、思わず聞き返した。  闇の老舗ブランドである【絽組】の恐ろしさは、誰よりも経験済みの夏子である。思ってもみなかった事件の真相だった。
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