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(全く冗談じゃない)
もう忘れてしまった積もりだった幼い日の思い出が、不意に蘇った。
父と兄に馬鹿にしたように言い渡されて、冷たく侮蔑的な言葉に傷ついた、まだ小学生だった美鈴の記憶。
「昔から女は、子供を産んで育てるだけのモノと決まっている。女には知恵も学歴も要らない」
「ただ健康で有れば良い。子供を産む為の嫁に妙な知識や経験は不要、ろくな嫁を作らないからな」
言葉は更に続く。
「いいな、美鈴。お前は家の為に役立てば良いんだ。分かったら大人しく、部屋で編み物でもして居なさい」
母亡き後の彼女の辛い体験も、そんな父と兄の考えがもたらしたモノに他ならない。
苦いそんな思い出に、夏子は決心した。
(圭太に。女とは、そんな力のない存在では無いと教えねば!)
このまま、清次の傍でただの黒津の姐でいては、圭太の為にも良くない。
「いけないわ。根性を腐ってしまう前に、此処は冒険あるのみ」
そう言う訳で、『カフェ・黒ねこ屋』の二階の三つ目の部屋の黒っぽいドアには、毎週火曜日になると鍵を差し込まれ、静かに開かれる事になったのである。
ドアに火曜日だけ掛けられる真新しいブリキ製の“黒猫”の看板。
階段の上がりたて、廊下の隅に切られたフランス窓から、公園の木々のサワサワと云う木の葉の音に誘われて入る風に、軽く揺れる看板に記された文字。
(看板に刻まれた小さな文字が、風に揺れて事件を待っているのだ)
【黒猫探偵社へ・ようこそ!】、小さくても探偵事務所だ。
{此処から(夏子の新たな冒険)が、また始まったのである}
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