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(猫がバナナをくわえていた気がする)
まさかと思い猫か何かが横切って行った右横の小さな路地に視線を移すと、目の前に工事現場の通行止めの看板が立っていた。
その道の少し先の方には、いくつか並んだ街灯のうち、一本だけ灯りの消えたものがあった。
「そういえば、前から消えかかってたよなあの街灯」
ついに寿命が尽きたんだろうか。
言いながら、無意識にそちらに歩き出していた。
百六十七センチ程の進一郎の背より高いコンクリートの両壁がそれぞれの家を守っている。
街灯たちはポツポツと、その細く長く続く路地に誇らしげに丸く灯りを落としている。
灯りの消えた一角だけが、世界から切り取られたように黒い。
『まるで自分みたいだ』と、進一郎は思う。
使えなくなったらいつの間にか新しいものに取り替えられて、でもきっと誰もそれには気がつかない。
いくらでも代わりがきく、自分もたぶんそんな人間なのだ。
最後に見て、自分だけは覚えていてやりたい。
なぜかそんな気分になった。
灯りの消えた街灯に近づくと、塀のやや上、紫色に光る二つの瞳がこちらを見ている事に気が付いた。
内心かなりドキリとしたが、目を凝らしてよく見ると、塀の向こうのかすかな家の灯りで縁どられた、黒猫の輪郭が浮かび上がってきた。
『ああ、さっきのはやっぱり猫だったんだ』、となぜだか少し安心した。
そして『猫ってあんなに高い所までジャンプできるんだなぁ』と、感心しながら足を滑らせた。
足元から目の前まで信じられない高さで滑り飛んできたのは、バナナの皮だった。
『ああ、バナナの皮って本当にこんなに滑るものなんだ』と、進一郎はまた感心した。少し感動すらした。
そして『やっぱりあの猫、バナナをくわえていたんだな。オレってけっこう動体視力良いじゃん』と、少し誇らしくも思った。
次の瞬間、『バナナの皮が高く飛んだわけではない、自分が下に落ちているんだ』と理解した。
そろそろ後ろ手に地面につくはずの両手が何の抵抗も返してこなかったからだ。
工事中だったのは灯りの消えた街灯そのものではなく、街灯の真下のマンホールの中の何かだったらしい。
落ちてゆく視界の端に一瞬、穴の向こう側の通行止めの看板と、その上に飛び乗った黒猫が見えた気がした。
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