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第0章 始
梅雨時は不意をついて雨を降らし、ザーッと音を立てコンクリートを容赦無く濡らす。
そして、視界を遮り、音さえも消すのだ。
そんな雨が降った金曜日。時は深夜を過ぎ、土曜日を回ったある日。家の明かりもない路地裏に一人の女が息を切らし走り続ける。
「ハァ、ハァ、ハァッ---」
女は少しだけ飲んだアルコールを口の中で感じながら、時に吐き気さえも込み上げ走り続ける。
何かに怯え、後ろを振り向く事はしない。ただ、自身の住むマンションへと走った。
だが、後ろから近付いてくる足音に恐怖は増し、震える手で鞄の中に入っているキーケースを取り出した。
「鍵…鍵……カギッ」
マンションの駐車場に辿り着くと、女は部屋の中ではなく、自身の赤い車に慌てて飛び乗った。
何故なら、取り出したキーケースは車専用の物だったのだ。
「……っ」
女は運転席で身を屈め、手に持つ一枚の写真をギュッと握り締めながら、追いかけて来た人間にバレないように息を潜める。
「……る……助けて」
だが、数分待って顔を上げると、女の顔が青ざめる。
目の前に見覚えのある人間がずぶ濡れになって立っていたのだ。
「キャアッ!」
それを見て、女は悲鳴を上げエンジンを掛けた。そして、思い切りアクセルを踏み込み、車を走らせる。
だが、女はその時一つの事を忘れていた。
それは、アルコールのせいなのか、恐怖心で忘れてしまったのかは分からない。
いつもは気を付けていた電柱が、女の目の前に現れたのだ。
急ブレーキの掛ける音はしなかった。その代わりに、車が力強くぶつかる音が住宅地に響いた。
女が乗っていた車は、手の中でクシャクシャになるほど強く握られた写真のように破損し、車中は血で赤く染まった。
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