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あの写真は、お面の男に拉致される数時間前の自分。
だって、その時持っていたスクールバッグには、その日に付けたばかりの犬のキーホルダーが付いていた。
そして、そのキーホルダーはその日のうちに無くした。
だから、その写真は確実に拉致される前の写真なのだ。
傘を差した自分はその数十分後、般若でお面を被った男に背後から声を掛けられ、人気の無い公衆トイレに無理矢理連れて行かれた。
まだ今よりも少しだけ華奢だった十汰は、抵抗も虚しく口を塞がれ、嗅がされた薬品で意識が朦朧とする中、引き摺られるようにトイレの一室へと拉致されたのだった。
「俺……ここにはいれないっ」
また、あんな思いはしたくはない。
耳に残る男の声。
さっき触られたらしい腹部の違和感。
その全てから逃げ出したい。
「十汰待て、外には出るな!」
「いやだっ! どっか、どっか遠くに行くッ!」
「大丈夫だ! 俺が側にいる!」
「いやあっ! 怖いっ! 怖いッ!」
ここなら安心だと思った。
実家から離れているし、側には漢助がいる。でも、でも駄目だった。
あの男はここに来た。
見付かった。見付かってしまった。
「十汰ッ! 大丈夫だッ! 大丈夫だから!」
「大丈夫じゃないよっ。俺、怖い……怖いよぉ…漢助っ」
そんな十汰を宥めるように、漢助が後ろから抱き締める。
でも、漢助の口からはアルコールの臭いがし、服からは咲子の香水が香った。
その二つの臭いを嗅ぎ、十汰は狂ったように漢助の身体をグッと押して距離を取った。
「俺が側にいるって言いながら、女と寝てたの誰だよ!」
「十汰?」
「俺の事好きって言ってくれても抱いてはくれないのに、女なら良いのかよ!」
「おい、なに勘違いして……」
「勘違い? 下心見え見えの加納さんの誘いに乗ったじゃん! 抱いたんだろ? 良いよ、ちゃんと言って」
「抱いてない。抱くわけないだろ」
「嘘だッ! 俺なんかより女の方が良いの分かってるよ! だって、漢助はストレートだろ? ゲイじゃない! 俺は、俺は漢助しか好きになった事ないから分からないけど、でも、漢助は女の人と付き合える。俺は漢助しか駄目なのに……」
なんでこんな重たい男になってしまっているのだろう。こんな事、言うつもりなんて無かったのに。
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