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昭和2X年。あの戦争が終わり復興の兆しが見え始めてなお、いまだ軍国主義の色合いが抜け切らない時代に――。
長雨が続いた晩秋のある日。
残暑もようやく終わりを告げて、いよいよ暮れの足音も近づきだした頃である。久しぶりの晴天にはしゃぐ少年たち。赤土の道路に出来た水たまりを蹴飛ばし、チャンバラごっこに熱中している。
そのさなかを一台の自動車が通り抜けた。
丸いフォルムを白黒ツートンに塗り分けされた大きめのセダン。このほど各地方警察にも、やっと導入されたパトロールカーである。
これには少年たちも大興奮だ。チャンバラそっちのけでパトカーを追いかけていった。
そんな彼らをバックミラーの端に捉え、兵藤二郎は破顔する。
「へっ。かわいいもんだ。なあアオ坊。俺たちにもあんな時分があったよな」
よれたスーツにハンチング帽。まさに偉丈夫といった風貌である。
地黒なうえ、よく日に焼けた顔を助手席に向けた兵藤がそう口にすると、この車の同乗者はぐったりとした様子でこう呟いた。
「……先輩にかわいかった時期なんてあるわけないじゃないですか。それよりちゃんと前向いて運転してくださ……おえ」
「おい! 吐くなよ? まだ新車なんだから絶対吐くなよ!」
「吐きゃしませんけど、どうも自動車ってヤツは苦手です。陸蒸気のほうがなんぼかマシだ。やっぱり引き受けるんじゃなかった……」
ただでさえ白い顔に血の気が失せる。助手席に乗る痩躯の男――相馬蒼偉は毒づいた。
仕立てのいいスリーピースにチーフタイ。まるで西洋の田舎紳士といった居住まいの男は手にしたステッキにうなだれながら、幼少時代からの悪友を心の底で呪うのだった。
一方、兵藤はそれを「陸蒸気たぁ、また古くせぇな」と笑い飛ばす。
「どうせ暇なんだろ? いまさらゴチャゴチャ言うんじゃねぇよ」
「これで結構忙しいんですけどね、探偵稼業ってのは」
「しゃらくせぇや。探偵ったってどうせ浮気調査か金貸しからの身辺調査が関の山だろが。こっちは人ひとり死んでんだ。黙って手ぇ貸しやがれ」
「だからって刑事が探偵に捜査頼みますか、普通」
「てやんでぇ! こちとらハナから頭使う気なんざ無ぇ!」
「ああ……こういうところは全然変わってない……」
蒼偉は車酔いとは別の苦悩に頭を抱えた。
ことの始まりはこうである。
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