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甘いバラの香りに包まれ、那音は頷く事しか出来なかった。 嬉しくて涙が零れたが、それはすぐに彼の唇に吸い取られ、かわりに優しいキスをもらった。 緩くウェーブのかかった銀色の髪が風に揺れ、宝石のような紫色の瞳が那音だけを映している。 本来の姿ではあるが、牙も爪も短いのは那音を傷つけないための配慮だとわかった。 両親を失って長い歳月、孤独に我慢強く生きてきた那音にとって頼れる存在がいること、愛される喜びに身を震わせた。 この時――いや、もしかしたらレヴィと出会った時からこの運命を受け入れる覚悟は出来ていたかもしれない。 急に黙り込んだ那音を心配してか、杏美が小首を傾げて覗き込んできた。 「――レヴィに酷いことされた、とか?」 慌てて首を振って否定し、飲みかけの冷めたコーヒーを一気に流し込んだ。 「長居してしまいましたね?すみません……」 受領伝票を渡し、サインを求めながら頭を下げると、杏美はくすぐったそうに笑った。 「これじゃあ、どっちがご主人様なのか分かんないわね」 そう言って細めた瞳は片方だけが紫色に変わっていた。 杏美の体にはレヴィと那音、二人の始祖の血が入っている。つまり二人にとって共通隷属になる。 その証として始祖の血統しか現れない紫色の瞳を片方だけ持つことになる。 能力も他の者に比べればかなり高く、とてもつい最近まで人間だったとは思えないほどすっかり馴染んでいる。 やはり素質が良ければ力も簡単に使いこなせるようだ。 「――その瞳。憧れます」 那音が少し寂し気に微笑みながら呟くと、杏美は受領書を渡しながら立ち上がった。 「主が隷属に憧れるって……。おかしな事を言うのね。――送りましょうか?」 「いえ、大丈夫です」 カウンターに座る経理の女性に一礼して、那音は事務局をあとにした。 背後で灰色の重厚な鉄のドアが閉まる音を聞いて、クスリと肩をすくめながら笑った。 自分の信頼出来る人物がここにもいるという安心感。そして……レヴィと想いが通じ合ってもなお、まだ同じものになれない寂しさ。
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