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「あ……すみません」 彼の心遣いに素直に従い、部屋の中に入ると冷え切っていた体を包む温度に驚いた。 暖炉には火は入っていないが、それほど外気との温度差があったことに今更ながら驚いた。 「間もなくお時間ですが……。大丈夫ですか?」 寸分の隙もなく着こなされた黒いスーツは健在で、左腕にはカシミヤのショールが掛けられている。 そのショールを那音の肩に掛けながら、優しく微笑む。 「大事なお体です。何かあってはレヴィ様に私が叱られます」 「大丈夫。――クシュンッ!」 言うそばからくしゃみをして、ノリスが困ったような顔をする。 純白のフロックコートに身を包み、襟元には大きなリボンタイが結ばれている。 乱れた栗色の髪を白い手袋の先で丁寧に直してくれるノリスにもう一度「大丈夫」と言ってから、大きく深呼吸をした。 「――いろいろ」 「え?」 「いろいろとご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」 恭しく頭を下げた那音にノリスは両手を振り、急いでその場に片膝をついた。 動揺したアーバンの瞳がかすかに潤んで見える。 「滅相もありません!私の方こそ那音様にはご迷惑をおかけしてしまって……」 彼は那音の右手をそっと持ち上げると甲にキスするように顔を近づけた。 「――この夜が明けたら、私はあなたの隷属。どうかノリスとお呼び下さいますか?」 那音は彼のブルーブラックの髪を見つめながらゆっくりと頷いた。 自分がこの場所に立つことを想像出来ただろうか。 白衣を着て、殺風景な白い部屋で調剤する――それだけの人生だと思っていた。 危険を伴う更生施設への薬剤の運搬を任されて、もしかしたらその施設で逃げ出したドラッガーに殺されていたかもしれない。 思い起こせばロクな仕事ではないな……と自分の進路を疎ましく感じた時もあった。 でも――。 「あなたにお仕え出来ることを幸せに思います。レヴィ様と共に……」 そう言って彼はすっと立ち上がると、那音の手をとったまま歩き始める。 部屋を出て長い廊下を進み、いくつかの角を曲がった場所に大聖堂の入口が見えた。
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