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13
那音は大きなジュラルミンのケースを片手に、何度来ても殺風景な灰色のドアの前でインターホンを押した。
くぐもった声の応答ののち、カードキーを使って解錠するとゆっくりとドアノブを回す。
その中は外の殺伐とした風景とは全く違うインテリアで統一された明るい空間だった。
以前はベージュ色だった壁紙も淡いブルーに張り替えられている。
それは以前、この場所で起きた惨劇の痕跡を跡形もなく消すものだったが、那音は何度来ても背筋が冷たくなりあの時の情景を思い出してしまう。
「――東都総合病院薬剤部の奥山です」
受付カウンターの向こう側でにこやかに微笑む女性スタッフは以前ここにいた人とは違う。
いわく付きでも高額な自給に魅せられて、ここでのパートを選んだのだろう。
那音はわずかに頭を下げ、受付横にあるドアをノックした。
「失礼します……」
声をかけながら入ると、甘いジャスミンの香りが鼻をつく。
その香りの根源を探すべく、素早く部屋を見渡すと書類の積まれたデスクの向こう側にその人物はいた。
「こんにちは。ご依頼のあったお薬をお持ちいたしました」
那音の声に顔をあげた女性は、以前この場所で瀕死の重傷を負った中沢杏美だった。
椅子から立ち上がり、長い栗色の巻き髪を払いのけた。白いシャツに黒いスカートというシンプルなスタイルのせいか引き締まったウェストがより強調されている。
膝上のスカートからのぞく長い脚に、相変わらず赤いハイヒールは健在だ。
以前より色香が増して見えるのはおそらく――。
「あら、いらっしゃい!」
真っ赤な唇が妖艶に微笑む。以前の那音であればこの絶世とも言える美人科学者に見惚れていただろうが、今は少し状況が変わっている。
「――お元気そうですね。よかった……」
「あなたたちのおかげよ。まあ座って!コーヒーでも淹れるわ」
「ありがとうございます」
あらかじめ用意されていたコーヒーメーカーからカップに注ぎ、ミニキッチンからテーブルに運んだカップはなぜか一つだけだ。
「――まだ、慣れませんか?」
「そんなんじゃないんだけど。やっぱり味覚を感じられないものは体に入れている気がしないのよ」
綺麗に手入れされた指先を口元に当てて微笑む。
那音はカップを手にしながらずっと気になっていたことを切り出した。
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