<1> 中華民国・北京駐在武官事務所(1928年)

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 陸大合格はならなかったとはいえ士官学校を出ているのだから、むろん実充とて優秀であることには変わりない。しかし陸士で上位50位に入る程度の頭脳では、「閣下」と呼ばれる身分になるには不足なのだ。  陸士卒業後、原隊である歩兵第34聯隊の隊務でくたくたになりながら夜は図上戦術の試験勉強に明け暮れ、憧れ、夢にまでみた天保銭を結局掴むことはできなかった実充を尻目に、何かに「頑張る」こととは無縁のようだったあの男は飄々易々とそれを掴んで、今や再び実充の前に上官として現れようとしていた。  才能への妬みだけではない。他にも会いたくない理由はある。  気障で世渡り上手で社交的で、万事につけそつなく振舞って周囲の評価も高い、実は胸の内に冷酷な側面を持っている南泉という男と。  ここにいる柚木実充という、名前だけ旧家の御曹司のように立派だが出世の道を閉ざされた僻みからいつまでも脱却できずに、本国から落ち伸びるようにしてここ北京で根を張っている拗ねた青年将校の、誰にも話せない過去の関係のほうが、より大きな理由といってもいい。 (第二章へつづく)
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